頭の中のさまざまのこと

すきなこと、考えていること

広島に行った話

生まれて初めて、ひとりで遠出をした。行ったのは広島だった。

 

 

「#Barbenheimer」(読み:バーベンハイマー)を覚えているだろうか。原子爆弾の父・オッペンハイマーを描いた映画『オッペンハイマー』と、実写映画『バービー』がアメリカで同日公開され、映画ファンたちが両作とも応援しようと生み出した、SNS上のハッシュタグである。

当初このハッシュタグは、ともに有名監督がメガホンをとった超大作である両作を純粋に楽しもうとしたファンたちによって、ポジティブに活用されていた。しかし、だんだん悪ノリする人たちが現れて、キノコ雲の写真をバービーの髪型のようにコラージュした悪質なファンメイド画像までが出回るようになり、更に悪いことに、その画像に映画バービーのアメリカ公式アカウントが「ケン*1がスタイリストだね」などと好意的なリプライ(返信)を付けたのである。

このことは大問題になったが、バービー側もオッペンハイマー側も長らく沈黙を貫き、遂には日本の公式SNSアカウントが抗議文を発表するまでに至った。

その後、ようやくアメリカの配給会社ワーナーは各報道機関にのみ謝罪文を送り、以降、公式コメントは一切なかった。

私はこの件に大いに失望し、怒り、バービーとオッペンハイマー両方のSNS公式アカウントに英語で数回意見を送り、楽しみにしていたバービー鑑賞をキャンセルした。もちろんこれは私個人の選択の問題であり、この件を知っているか知らないかにかかわらず、作品を楽しみにしたり実際に鑑賞したりした人たちを非難するわけではない。

そう、私は怒ったのだけれど、じゃあお前は原爆の何を知っているんだ?と自問自答した時に、知らない、と思った。だから行くことにした。

 

 

ある種の人たちには信じられないだろうが、私には「どこかに行きたい」「ここに行きたい」みたいな欲求がなく、およそ旅行や遠出といった名のつくことを人生でほとんどしていない*2。そのため、常にどこかに行きたいタイプのソウルメイトに助言を求め、1泊するつもりで有給休暇を取った。が、広島のホテルを検索するうちに、宿泊客の多くが海外からの観光客っぽいなということがわかり、トコジラミの被害が怖くなってきて、前日まで悩んでいた。

トコジラミ対策、体を張った現行犯逮捕の方法など

とはいえ、関東から広島に日帰りはきつかろうと思い、ええい!とホテル予約画面で決済ボタンを押したところ、「このクレジットカードでは決済できません」とかいうメッセージが表示され、弾丸日帰り旅行が決定した。いいんですよ別に、自室にあるたくさんのましゃ(最推し・福山雅治のこと)関連の雑誌や写真集に殺虫剤を撒くことになるよりはマシですからね……。

 

早朝に起床、出発。

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朝ごはん。シンカンセンスゴイカタイアイスは放置しすぎて全部溶けたから全部飲んだ

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いただきます
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ご馳走さまでした

途中やたら雪深い地域を通過してびっくりしたり、海が見えてテンション爆上がりしたりしながら過ごした。雪の影響で少し遅れたものの、広島には昼前に着いた。

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本当に広島に着くとは思わなかったので、すごくびっくりした。遠くの、行ったことないところって、行けるんだね。旅ってすごいな!

おなか空いていなかったので、すぐ原爆資料館に行くことにした。路面電車で行けることがわかって絶対に乗りたかった。広い駅を歩くと、観光客向けのボランティアガイドの腕章を着けた人たちがたくさんいてくれるのが目に入る。世界中からたくさんの人たちが訪ねてくるのだろう。今日は私もその一人だ。路面電車は乗り場と乗り方がよくわからなくて3本くらい見送ってしまい、埒があかなかったので、乗ろうとしていた資料館の最寄駅まで行く電車ではなく、原爆ドーム前で下車できるものに飛び乗った。乗る時と降りる時に、それぞれICカードをタッチして精算するみたいだった。なんとかうまくやれてよかった。

原爆ドーム前で降りた。

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静かな場所だった。バカな私はお供物を何も持ってこなかったので、近くの水飲み場から両手で水をすくって、慰霊碑に置いてあるお椀に注ぎ足すことしかできなかった。それでドームを近くで見た。瓦礫が建物内の床を埋め尽くしている。ドーム型の天井からは、たくさんの鳥の声がする。この上空600メートルで、2万人を殺した爆弾が爆発したのだ、たった79年前に。自分でもびっくりしたけれど、しばらく泣いた。

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生活があったのだ

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私はこの殉職者の名前を読むことができる。けれど日本語を読み書きしない(できない)人には、この人たちの名前は知られることはない
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多くのキリスト教徒たちも亡くなった

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ぐるりと周りを歩いていると、すぐそばに大きな川が流れていて、一箇所だけ川に降りていける階段が開放されていた。人がたくさん来るところなのに敢えて危ない環境にしているのには、理由があるはずだと思った。きっと、炎から逃れて、水が欲しくて、この階段から川に入って亡くなった大勢の人たちのためなのだろう。階段には静かに、繰り返し、水が打ち寄せていた。
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詩人の墓碑もあった

しばらく散歩したのち、原爆資料館に行った。正式には、広島平和記念資料館という。ドームから徒歩で行ける。海外からの観光客がやはり多く、音声ガイドは全て貸し出されていた。また、目の前の平和記念公園などを一緒に巡って解説をしてくれる無料ガイドの依頼受付スペースがあり、是非お願いしたかったものの、中の展示をじっくり鑑賞する時間を考えて断念した。

資料館には無料開放エリアもあるが、有料の常設展も大人200円で鑑賞できる。チケット売場に能登の震災の募金箱があったので小銭を入れつつ、鑑賞ルートに従って進んだ。セクションの入り口には、悲惨な展示がある旨の注意書きが丁寧に設置されていて、途中にいくつかある、見学者が操作できる解説パネルでは、日本手話や、その他かなり多くの外国語による解説が聞けるようだった。

 

 

 

もしかしたら写真撮影可の場所もあったのかもしれないが、中の写真は一枚も撮れなかった。とてもそんなことはできなかった。

血と黒い雨のシミが付いた子ども服、変色して「赤鬼」「青鬼」などと呼ばれた水死体を描いた絵、疎開先の子どもに宛てた母親からの手紙、溶けた鉄材、溶岩の表面のように暗くひび割れた肌の写真、熱線で焼きついた影、切除されたケロイドの標本、川に浮かんだ水死体を引き上げるのに使われたフック、「看護ガ至ラズ、オ詫ビ申シ上ゲマス」と書かれた死亡診断書、「緑色がなくて赤と黒と茶色だけがある、地獄の絵だと思った」と当時を振り返る被爆者のインタビュー映像、韓国人被爆者の証言、後遺症に苦しんで崩壊したある家庭の歴史、

そんなものが幾つも幾つも幾つも幾つもあった。石段に焼きついた影は、「うちの人じゃないか」という声が複数のご家族から寄せられているそうだ。当時の子どもの服装一式の展示は、複数の子どもの遺品を集めて作られていた。子どもの服や所持品が多かった。服は全部小さかった。全部小さかった!ずっと泣きながら観て回った。1945年、その年のうちに14万人が亡くなった。14万人だぞ、知っていたか?私は知らなかった。知らなかった。

 

 

展示エリアを出ると、ガラス張りの広い通路があった。吹き抜けのようになっていて天井が高く、目の前の公園を一望できる。置かれた感想ノートを捲ると、様々な言語でメッセージが書かれていた。そのことに少し安堵しつつ、私も名前を書いた。これが私の生きた証のひとつになる。

無料開放エリアには、リトルボーイ*3とファットマン*4の模型、熱線に焼かれたガラス瓶や瓦などが置いてあり、これらは実際にさわることができるようになっていた。さわってみると、ざらざらとしていて、よく見ると表面は沸騰した湯のように細かく泡立ったまま固まっていたのだった。原子爆弾の取り扱いをめぐる多くの国際会議の解説もあった。こんなことが自国で起こったというのに、未だに核兵器禁止条約に批准していない日本という国は狂っているとしか言えない。

署名国、批准国一覧

1階フロアでは企画展をやっていて、無料で鑑賞できる。ここでもガラス片が刺さったままの箪笥や、血のシミが残ったシャツなどが展示されていた。匿名の方が描いた、幼くして犠牲になった妹の絵には、「なぜ妹の人生は○年だったのか」とあって、妹をもつ身としてはかなりしんどい思いだった。みんな誰かの血縁者だが、誰であってもなくてもその命は尊重されるべきだ、もちろん。しかし、しんどかった。

ミュージアムショップには多くの書籍が並んでいて、私は折り鶴のピンバッジと展示会ガイドブック(日本語版)を購入した。展示品を網羅した図録もあったが、自室に収納スペースがないため断念。

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資料館にあったチラシを見て、次は国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に行った。この施設にも徒歩で行ける。

地下2階に向かうと、追悼空間の手前に大きな液晶モニターがあり、原爆で亡くなった方々の遺影がぎっしり並んで次々と表示されていた。傍にはその遺影の情報を検索できる装置がある。試しに自分の苗字を入力してみると、多くの検索結果が出てきた。お名前、お写真、ご遺族からの証言、そしてその遺影が何時何分にモニターのどの場所に表示されるのかが書いてあった。お顔を見に来る方々がいらっしゃるのだろう。とても丁寧で優しい仕様だった。

追悼空間の壁面には、原爆が落とされた年のうちに亡くなったとされる14万人と同じ数のタイルを使って、爆心地から見た周囲の町並みが描かれている。空間の中央には、原爆投下時間の8時15分を表したモニュメントがあり、絶えず水が流れていた。追悼の場所には必ず水がある。みんな水を求めて苦しみながら亡くなっていったから。今でもその魂のようなものたちが、ここの水を飲みに来られるのだろうか。椅子があったのでしばらく座って、水の音を聞いていた。

地下1階に上がると、「空白の天気図 ー気象台員たちのヒロシマー」という企画展を開催中だった。映像作品だったので、用意されていた椅子に座って鑑賞した。ナレーションは岸辺一徳だった。

広島に原爆が投下された約1ヶ月後、とても大きな台風(枕崎台風)が日本を襲ったこと、全然知らなかった。広島の気象台に勤めていた気象台員たちは、原爆の爆風で大怪我をしながらも、観測装置を見に行ったり、何としても記録を送ろうと電報を打ちに何時間も歩いたりしたらしい。生き残った当時のスタッフさんは、光を見て爆弾だと瞬時に判断し伏せながらも、秒数をずっと数えていたそうだ。「そんな時にと思われるかもしれませんが、我々、気象をやる者は、いつでも記録を取らなくてはいかんのです」というようなことを仰っていて、美談にしていいのか迷いつつ、その極限のプライドに感嘆しっぱなしだった。出勤途中に熱線を顔に浴びてしまったスタッフさんの火傷がどんどん悪化して、お粥の塩気を痛がるとか、傷からの滲出液が枕に流れて顔の輪郭のシミをつくっていたというお話もあったが、その後回復されたみたいで嬉しかった。

戦時中は気象情報が軍事機密になるため、天気予報は長らく禁止されており、民間人には台風情報が全く伝わっておらず、それが被害を大きくしてしまったことも知らなかった。でも映画「窓ぎわのトットちゃん」でラジオから流れてくる天気予報がいつの間にか放送されなくなっている描写があったのを思い出して、さすがの出来だったんだな……と戦慄した。

平和祈念館を出て、公園を少し見た。

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ずっと燃えていた

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広い

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「安らかに眠って下さい  過ちは繰り返しませぬから」

像の周りには電話ボックスのようなブースがいくつもあって、中に千羽鶴を投函できるようになっていた。そのうちのひとつに「今日はここに入れてください」と看板が立っている。内容量を均すために日替わりで収納していくシステムなのだろうか。そういえば、資料館のショップにはこれらの千羽鶴から作られた紙でできた製品もあった気がする。

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学徒動員のモニュメントのようなものも近くにあったと思う。戦争をしたがっているとしか考えられない近年の日本の政治を思うと、学徒動員も過去のものではなくなるのかもしれない。

 

最後にもう一度原爆ドームを見に戻った。離れがたくてうろついているうちに、すっかり日が暮れてしまった。

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島風お好み焼き食べたかったけど、新幹線で美味しそうなにおいを振りまくわけにもいかなかったので、カキフライ定食を食べた。お隣のお客さんたちが、ましゃが今度長崎でパレードに出演する話をされていて、ついニヤニヤした。ごはん大盛りを完食して、駅で生もみじ饅頭を買って帰った。

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美味しかった!

 

勉強できたかはわからないし、泣いただけで終わってしまった気もするけど、行ってよかった。今年の8月6日は、きっとこれまでとは違う気持ちで迎えることになるだろう。どこかに行くというのは、そうやって色んな街や物事を少しずつ自分事にしていくことなのかもしれない。

科学者は作った後のことも考えないといけない、と湯川先生*5も確か言っていた。私に原爆の責任はないけど、二度と誰にも使わせない責任はあると思う。今後もあらゆる戦争に反対し、日本が核兵器禁止条約に批准するよう意見を言っていこう。

 

 

ところで、今回の広島行きにあたって、何年かぶりにトイカメラを連れていった。機種は今は亡きHolga 135BC*6、使ったフィルムはKodakのUltra Max ISO400の36枚撮り。35ミリのカラーネガです。久しぶりに量販店のフィルムコーナー行ったら売場がえらく縮小されていて種類も全然なかったので、あちこち探して買った。2000円くらいしてドン引きした。前は半額以下だった気がする……。

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うそみたいに軽くて、機能がほとんどない。晴れか曇りか、ノーマルかバルブか、くらいしか選べないし、ピント合わせの調整も全部勘でやる。ファインダー覗かない時すらある。でも撮れるし、この適当さがいいんだよな

フィルム装填の仕方を完全に忘れたので、夜中に部屋の電気を消してネットで調べながらコソコソやって楽しかった。なんとかなったけど、原爆ドームを撮っている時急に巻き戻しクランクが動かなくなって、これは中でフィルムがスリットから抜けてるなと思い、感光覚悟でリュックの中で裏蓋を開けたので、何枚かはダメになってしまった。でも撮れたのもあるので、ここに載せておく。どうですか、結構いいでしょう。

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このへん感光がひどいな
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追悼の場所ではどこでも、水がずっと捧げられている
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鳥がいた
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また鳥
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橋からの眺め
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原爆ドーム前
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*1:バービーのボーイフレンドという設定の男性キャラクター

*2:亡くなった祖父母は旅行好きだったから、幼い頃は連れていかれたが、能動的に行ったことはない

*3:広島に落とされた原子爆弾の通称

*4:長崎に落とされた原子爆弾の通称

*5:テレビドラマ「ガリレオ」シリーズで、最推し・福山雅治が主演を務めたキャラクター。優秀な物理学者という設定

*6:ロシア製のトイカメラ。BCはBlack Cornerの略で、ほかのモデルより、四隅が暗くなるトンネル効果が出やすい