頭の中のさまざまのこと

すきなこと、考えていること

骨董市と信仰の話

我が家では、今年はもっとお出かけしようということになっていた。「ゆこう」「ゆこう」そういうことになった。

 

手始めに日暮里の骨董市に行き、たくさんのお店を冷やかした。ああいう場所には初めて行ったのだけど、とても楽しかった!レトロなおもちゃや雑貨、それから茶器やカトラリーなどのテーブルウェアが綺麗に並べられて、冬の陽を浴びて柔らかく光っていた。アクセサリーも多かったので、でかくてゴツくて強い指輪があったら欲しかったが、ことごとくサイズが合わず、私はご縁がなかった。妹はたくさんのモノの中からすぐに気にいるものを見出して購入していた。銀のネックレス。隣にいたおばさまに「いいの見つけたね」と話しかけられており、いい空気だなと思った。好きなの見つかってよかったね。

ああいう、モノがたくさんあるところから好きなものを見つけるのには、日頃から「自分は何が好きなのか」「自分が好きだと感じるポイントは何か」を把握しておく必要があるんだろう。あるいは、買いもの自体がそのことを教えてくれるのかもしれない。妹はたぶんそれが得意だ。私はどうだろうか?

 

お昼のお店を探しながらうろうろしていたら佃煮屋さんがあり、母が惹かれて早速買っていた。あさりのと、昆布の。好きなのあってよかったね。

お昼はなんだかオシャレな感じのお店でサンドイッチセットを食べた。注文したBLTサンドは最初からカットされていてありがたく、あたたかいパンにバターがよく塗ってあってとても美味しかった。コーヒーはアメリカンと迷ったけどブレンドにしてみたところ、酸味が少なくて飲みやすくてこれも美味しかった。お会計のとき、「行ってらっしゃい」と言ってもらった。街歩きをする人が多いからだろうけど、その日の私たちも漏れなくそうだったから嬉しかった。行ってきます。

 

 

 

母が行きたいというので、「東京ジャーミイ」に行った。イスラム教の礼拝堂や多目的ホールがあり、ムスリム文化圏の人たちの集会所みたいな感じになっている施設である。

予約不要で施設内を見学できるというので、ロビーでツアーが始まるのを待った。能登の募金箱と、パレスチナ支援の募金箱があったので、速攻でそれぞれにお金を投入した。母は興味がなさそうだったが、私と妹が迷わず募金したので、つられて幾らか募金してくれた。ありがとう。

ツアーでは多目的ホール売店、外階段を通って外観を見て、それから最後に礼拝堂でお祈りを見学させてもらった。ホールの壁にはアラビア文字でできたマークのようなものが大きく書かれていた。イスラム教では偶像崇拝が禁じられているので、絵などの代わりに文字を装飾にするのだそうだ。私には記号のようにしか見えないあのマークも、誰かにはきっと「読める……読めるぞ!!」状態(出典:映画「天空の城ラピュタ」)なんだろう。文化(言葉は文化に内包されている)がわかれば、もっと世界中の色んなものが意味を持って飛び込んでくるんだろうな。

礼拝堂は土足厳禁なので、入り口で靴を脱いだ。入ってすぐに女性はスカーフを手渡される。頭髪と肌を覆うのだ。巻き方も教えてくれる。床に座って、訪れた人々がお祈りをするのを見守る。あとは流れ解散。

中は白と青を基調とした広い空間で、特に高い天井がどこまでも続いていくようだった。質疑応答があり、「女性はいつでもどこでも肌を覆わなくてはならないのか」という質問への答えが、「地域によるが、家では着けないことが多い。自分の夫と、夫と結婚していることにより自分と結婚できない血縁者男性の前では着けない」というようなものだった。問答のあいだもお祈りに来る人は途切れない。2階部分のバルコニーには女性たちがいた。そういえば私たちが座っている1階にお祈りに来るのは男性だけだ。男女で祈る場を分けなければならないのだろう。これはMCUドラマ「ミズ・マーベル」でも観ました。

うーん差別的……と思いながらお祈りを見続ける。かなりカジュアルな格好の若者も滑らかな動作でお祈りを捧げては帰っていく。そのうちのひとりが、年配の男性からハンドマイクを手渡され、祈りの言葉を捧げ始めた。その言葉には節がついていて、まるで歌のようだ。全く戸惑う様子がなかったその青年の言葉に合わせて、その場にいた男性たちも、バルコニーの女性たちも、一斉に祈り出した。

これが「信仰」か、と思った。ふだん法事で読経を聞いてもこんな気分になったことはないのに、この時は水を浴びせられたようだった。いきなりお祈りの言葉を歌えるほど、長い作法の動作に迷うことがないほど、生活の一部であり規範であり道徳であるものが、この人たちにはある。私にはない。それが「違い」で「文化」で「信仰」。私たちは今「信仰」を見ているのだと思った。

お祈りを一通り聞かせてもらったあと、痺れる足を叱咤してなんとか帰宅した。ムスリム文化圏ではこれからラマダンだな……とぼんやり思いながら、文化を「消費」してる気がする……とも思い、ちょっと落ち込んだ。visitorとして、異なる文化圏の、しかも宗教の空間にお邪魔させてもらったけど、振る舞いに問題はなかっただろうか?事前に勉強すべきことがあったのでは?読経を何とも思わないのに今回ムスリム文化の祈りに感じ入ったのは、異文化をオリエンタリズムのように雑に消費してしまっているからでは?とか色々考えてしまって、我ながら面倒な性格だ。色んなものを盗用せず消費せずに向き合う方法が知りたい。そもそもそんなことは可能なのか?

 

超好きな講演音源。長いけど美しいから是非聴いてみてください