頭の中のさまざまのこと

すきなこと、考えていること

1日だけ冒険に出かけた話

こんにちは。日々なんとか生きています。ギズモ参謀です。

先日のゴールデンウィークに、1日だけ冒険に出かけてきました。その時の話をします。

 

冒険のきっかけ

私は車の免許を持っていないため、お出かけは専ら電車移動です。ある時、券売機前で路線図を見上げていて、こう思いました。

世の中には降りたことのない駅が多すぎる。

このことに気づいてしまった私は、ぼんやりと「冒険するか」と思いました。

私は『スタンド・バイ・ミー』のような計画性ある(?)冒険もすきですが、『ホビット  思いがけない冒険』のような衝動性あふれる冒険にも憧れます。ですので、思いついてしまった冒険に実際に出かけるには、ただ単に仕事がお休みだとか、逆にそのために仕事の休みを調節するとか、そういうことではなく、むしろ朝起きて外を見た時に空がメチャメチャ青くて最高で仕事も休みだった、みたいな気持ちの時が理想だなと考えていました。そういう、意図せず何もかもがぴったりな時に行きたかったのです。

そしてこのことは日々に忙殺されてしばらく忘れていました。しかし、今月突如この衝動を思い出しました。今だ、と思いました。

 

冒険に出かけよう

まず幾つかルールを決めました。

  • その時来た電車に乗る
  • 乗った電車で終点まで行く
  • ただし途中下車は認める

こんな感じです。お金があまりないので極貧の冒険です。

まずは普通に朝起きます。この時、気合いを入れて早朝に起きてしまうと、冒険に出かける気満々になってしまい、能動的すぎるので、あくまでもその時の気分に任せてお布団から脱出します。気持ち優先です。

同居している家族にも冒険に出かけることは言いません。のんびり朝ごはんを食べている娘が、まさか今日冒険に出かけるだなんて母上は夢にも思わないでしょう。誰にも内緒でお出かけするのです。最高。

私のおうちから比較的近くて、かつ色々な路線が集合している駅は横浜駅なので、まずは横浜駅に向かいました。たくさん電車が来ます。どの路線にも降りたことのない駅があります。心の中のロッカーに尋ねます。

「どの電車に乗ればいいと思う?」

「空を見上げろ。それがパンクだ」

その日の空はとても青かったので、青い色の電車に乗ることにしました。ありがとうロッカー。私は横須賀線のホームに向かいました。次の電車は久里浜行きでした。私の冒険の地が決まりました。

 

途中下車

同じ車両に乗っているひとたちの誰も私の今日の冒険を知らないのだと思うと、死ぬほど最高です。ルンルン気分で電車に揺られていたのですが、ド平日だったにも関わらず、車両には割と乗客がいて、しかも終点が迫ってもなかなか減っていきませんでした。終点に近づくほど乗客が減り、最後には自分だけが残っている的な、『千と千尋の神隠し』パターンを想定していた私は動揺してしまいました。

そして考えた結果、逆に誰も降りなかった駅で降りればいいのでは?という結論に達しました。

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降りてみました。

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誰もいねえ!!!!!!!!ヒュウ〜〜〜〜〜〜ッ!!!!

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トンネルまである!!!!完璧!!!!!!!!

降りたのは田浦という駅でした。ホームからは住宅と森と山しか見えませんでした。最高。静かに大興奮しながら、改札を抜けてみました。

ハア〜〜〜〜〜〜〜〜!!!なんにもねえ!!!

本当になんにもありませんでした。ビルもねえ!TSUTAYAもねえ!でも改札は有人でしたし自動でした。さすがにバカにしすぎだった。

ともあれ、再び電車に乗ってしまうのは早計というものです。Googleマップ先生によると、横須賀駅が次の駅としては適当なようです。距離はありそうですが、とてもいいお天気なので、歩いて向かうことにします。

道路をひたすら道なりに進みます。誰も歩いていません。最高。日差しが強かったので、相棒のカメラが熱を持ちすぎないようコートの内側に入れて、フードをかぶります。作業着姿のお兄さんたちにガン見されながら歩きます。そりゃあこんな平日の昼間に黄色のコート来てフードかぶってカメラ持った小娘がいたら見ますよね。横須賀が近いとあって、周りには海上自衛隊の補給所的な施設やら専門病院やらがたくさんありました。撮ったら暗殺されるかもしれないと思ったのでお写真はありません。命が惜しかったんだ。ごめんな。

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トンネルを幾つか通りました。楽しすぎて何度も振り返ってしまいました。無事に帰れるだろうか。

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線路沿いの公園に芥川龍之介の小説の一節を見つけました。このあたりにお住まいだったことがあるそうですね。足元のお花も綺麗でした。公園では営業職らしきお兄さんたちがお昼寝をしてらして最高でした。

そして結局1時間ほど歩きました。ゆっくりペースだったので、大体3〜4キロくらいと推測。横須賀駅に着きました。

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スゲエ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!かっけえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!

三笠というお名前なんですかね。駅に看板がありました。25歳(小2)なので、おおきなお船には興奮します。かっこよすぎ。案内板によると、近くにヴェルニー記念館ペリー来航記念館があるそうです。なにそれ面白そう。検索してみたところ、

ふたつとも休館日でした。

無念。またご縁があったらきっと訪ねてゆくからな…。

 

終点  久里浜駅

1時間歩いて疲れたので、横須賀駅久里浜駅は電車に乗りました。

そしてやってきました終点久里浜駅。ここで日暮れまで遊びます。まずは少し遅くなったけど、お昼ごはんだ!早速検索します。が、美味しそうなお店に限って、昼営業終了間近。私ほんとこういうの間が悪いんですよね。私は急ぐ食事が苦手なので、泣く泣くファストフードにて食事。若干疲れた体にオレンジジュースが沁みます。おいしい。

久里浜ってよく知らないけど、たぶん海があるんだろうと思いますし、海があるなら見ないわけにはいきません。駅に戻り、案内板で海岸までの道を覚えます。近くにお寺や神社が幾つかあるようです。折角なのでお参りをしていくことにしました。

すぐ横が墓地だったのでお写真は控えさせていただいたため、もはやお寺の名前も覚えていませんが、行きました。目が不自由なお坊さん?が同じ苦労をしている方のためにと彫った仏像が幾つもありました。すごかった。自分と家族と友人たちの目の健康をお祈りしました。

 

いよいよ海へ

お参りを終えたところで、いよいよ海へ向かいます。『スタンド・バイ・ミー』よろしく、線路沿いならぬ川沿いを歩きます。ここもほとんど人は歩いていません。最高か。川向こうには海上自衛隊の駐屯地もありました。隊服を着たお兄さんが門番をしていらっしゃいました。かっこいい。あと、親しみしか感じないお名前の釣り船もありました。

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ほかにも釣り船がたくさん。お兄さんたちがお手入れをしていました。かっこいい。

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海が近づいてきます。

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お…?おおぉ…おお〜〜〜〜〜〜!!!!

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川と海が混ざるところ、はじめて見ました。感動です。

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海だ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!

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釣りのおじさんたち以外はほぼ無人です!貸切と言っても過言ではないのだ!

波の届かないギリギリまで行き、しゃがんで写真を撮りました。

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すごい…波だ…生きてる…ぜんぶ違う…ぜんぜん違う…すごい…海すごい…

大興奮したので、タオルもビーチサンダルも何も持ってきていませんでしたが、

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裸足になって海に入りました。

波が来るたびに細かい砂がバーーーッてなって足が沈んでいくのめちゃめちゃに楽しい…冷たくてきもちいい…

などと油断していたら、ウワッ何をするやめろやめるんだウアアアアあああああ

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裾が濡れました。でも楽しいので全てOKです。

シャッタースピードを上げて波を撮ってみたり、足跡を撮ったりして遊びました。

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暗くなる前に海からのお土産を探す気になっていたので、名残惜しいですが、靴を履く準備のために早めに海から上がることにしました。波打ち際から少し離れると、石や砕けた貝殻が散乱していたので、抜き足差し足で歩きました。いたた。

それにしても裸足で砂浜を歩いて海に入るなんて、何年振りだったでしょうか。砂の感触も時折足をさわっていく海藻の感触も忘れていました。たまにはいいもんですね。

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砂浜へ続く階段に腰掛けて、足を風に晒して乾かします。BGMは波の音だけです。最高すぎか。ぼうっと海を眺めていると、鳩が近くに来てくれました。かわいい。

目論見通り、砂は乾かしてから擦ると簡単に取れました。濡れたまま無理やり拭かなくてよかった。仕上げに、海に入る前にこのためにかろうじて用意できたペットボトルのミネラルウォーターで、足を少し濡らして拭います。傷はないことを確認してから海に入りましたが、こんな楽しい冒険でバイ菌をもらってきては興ざめです。

足は乾きましたが、ズボンの裾は乾きません。やっちまったぜ。裾をブーツの外に出して悪あがきします。靴を装備し直したところで、浜辺散策開始です。

早速素敵な貝殻を見つけました。これをお土産とする。

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歩き回るうちに、だんだん裾も乾いてきました。折り返しのところに海水と一緒に砂も入ってきてしまったので、乾きかけはこんな感じです。もはや愛おしい。

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遊んでいるうちに日が暮れてきました。海の表情が変わってきます。濡れた砂が光って見えます。最高。

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お土産を集め終わった後もしばらく行き交う船を眺めたり、出てきてくれた月を見ていたりしていたのですが、如何せん風が強く、寒くなってきたので、退散することにしました。もし私がこのへんに住んでいたら、絶対に水筒にコーヒー入れて持ってきてもっと長居して、梶井基次郎著『Kの昇天』を思い浮かべて黄昏れたりしていたことでしょう。私は今のところ患ってもいませんし、儚げな美少年でもありませんが、それでも月夜の海は想像するだけでもゾクゾクします。海と月のコンビネーションはやばい。危険ですね。退散退散。

来た道を戻ります。釣り船にはもうお兄さんたちはおらず、ぽつぽつと灯りが灯っているだけでした。とても綺麗でした。

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おわりに

これにて私の1日限りの大冒険は終わりました。帰りの電車で爆睡ののち地元の駅に降り立った時の拍子抜け感はとてつもないものでした。某夢の国から帰ってきたような感じがしました。

実は朝お布団の中で、本当に出かけるのか若干迷っていました。もともと出不精なので。でもいざ冒険に出て、今回のように成り行きで海とか行くことになると、本当に一瞬も後悔しないので、みなさんももし冒険を思いついて、朝起きた時そういう気分になっていて、それがお出かけできる日なら、突然海とか行ってみてください。きっと最高です。

冒険はいいぞ。

私とディズニーランドの話

こないだ映画『モアナと伝説の海』字幕版を家族でキメて号泣しまして、あ〜そういえば最近ディズニーランド行ってないな〜行きたいな〜夢の国サイコ〜〜〜〜〜と思ったので、私がディズニーランドのどんなところをサイコ〜だと思っているのか書きます。ランドと表記しますが、当然ディズニーシーも含みます。

とても個人的な話です。あしからず。

私がディズニーランドをすきなところは、大きく分けて2つあります。まず1つめ。

 

大人の本気を感じられるところ

まず大前提として、ディズニーランドとは夢の国です。強い言い方をすれば、いわば虚構の世界です。

パーク上空を飛ぶ飛行機はストームライダーではありませんし、カストーディアルさんが拾っているのは夢のカケラではありません。恐らくディズニーランドに来園するお客さまのほとんどが、キャラクターの中には人間がいることを知っています。今どき小学生ですら感づいていると思います。

しかし、それでも私たちはチケットを握りしめてディズニーランドに行きます。それは、夢の世界が本気でつくられているからだと思うのです。

恐らく歳上のお兄さまお姉さま達が、たぶん広くて素敵な会議室で、「こういう内装にしたら不思議の国のアリス感あってかわいい」とか「このごはんにミッキーの形したやつ何か載ってたらたのしい」とか話し合っているのかと思うと、涙が出そうになります。たぶん本気で考えてくださっているはずなんです。大人が。最高じゃないですか?

それにイベントの度にたった一晩で園内の装飾が一新される様はまさに魔法です。その魔法を発動させるために、きっと大勢の大人たちが何時間もかけて作業をしてくださっているのです。これが本気でなくて何なのでしょう。ありがたい。最高です。

キャラクターもパフォーマーさんたちも、煌びやかな衣装を身に纏い、信じていれば夢は叶う、魔法をかけてあげる、一緒に踊ろう、幸せはここにと叫び続けてくれます。私は大人なので、信じるだけでは夢は叶わないことを知っています。夢を叶えるには大抵、それに見合った努力が必要です。ディズニーランドの偉いひとたちも、パフォーマーさんたちも、それを知っているはずなのです。だってディズニーランドでパフォーマンスをするために、彼らや彼女たちが努力していないはずはないじゃありませんか。

そんな人たちが、それでも夢は叶うとか空を飛べるとか歌ってくれるのです。最強の説得力です。私はそのことがとても嬉しくて、いつも泣きそうになります。アトラクションやショー自体というより、その裏側といいますか、そこから勝手に感じるメッセージや、それを維持する大人たちの本気の努力に感動するのです。

大人たちが本気でつくって守っている夢の世界が、私は大好きです。全然じょうずに言えていませんけど。

 

ディズニーランドが私を大人にしてくれた

私がディズニーランドを最高だと思う2つめの理由です。

非常に個人的な話にはなりますが、私は中部地方の某県で生まれ、小学4年生頃までそこに住んでいました。

その頃ディズニーランドに行く時は、父が運転する車に乗って、母と妹を含めた家族4人で行くのが通例でした。知る人ぞ知る神番組『ミッキー&舞ちゃんの夢と魔法のクリスマス』を毎年クリスマスシーズンに狂ったように観ていた私と妹は、ディズニーランドが大好きで、行けば毎回はしゃぎ倒し、帰りには、車がパークの駐車場を出るまでの僅か数分間の間に眠りに落ちるほどでした(私はだんだん小さくなっていくパークを最後まで眺めて帰りたいのに、いつもその前に寝てしまうので、「眠ってしまうのはミッキーが魔法をかけるからだ!」と信じて疑いませんでした)。

そして家に着くとなんとなく自然に目が覚めるのですが、眠ったままだと、父がベッドまでお姫さま抱っこで運んでくれるのを知っているので、それが嬉しくて、いつもわざと眠ったフリをしていました(もちろんバレていました)。

それが、私が子どもだった頃のディズニーランドです。

 

ところが、関東圏に越してきて、中学生くらいになると、友達同士だけでディズニーランドに行けるようになりました。

当時は何も考えずに遊び倒していましたが、いま考えると、なかなか良い訓練だった気がしています。『ディズニーランドに自力で行き、楽しみ、自力で帰ってくる』というのは、実はそこそこスキルが要ることだと思うのです。

  • 自分の行き帰りの交通手段を調べて、計画通りにそれを利用することができる
  • 交通費等の必要経費を残すことを計算して遊ぶことができる
  • ファストパスやショーやスタンバイなど、様々な時間的要素を考慮し、計算して、その場で臨機応変に計画を立てることができる
  • 自分の体力や体調の限界がわかる
  • 同行者の意見を尊重できる

などなど、実に色々なスキルを駆使して遊んでいたわけです。これを大人への一歩と言わずして何と言うのか。と思うわけです。ディズニーランドは、その身をもって、私に人として成長するための訓練を施してくれました。

 

かつて私は父の運転する車の後部座席で眠るだけで、家に帰ってくることができました。無事に家に帰ってくるという責任は、自分のものではなかったのです。でも今は、自分で電車を乗り継ぎ(あるいはシャトルバスに乗り)、最寄駅から歩かないと家に帰ることはできません。この責任は私のものです。束の間の夢から自分で覚め、自分の足で帰ってくること、これが今の私のディズニーランドです。

ディズニーランドは私にとって、最も身近で、これからも何度でも体験したい、行きて帰りし物語なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!ディズニーランド行きてえな〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!

新春浅草歌舞伎に行ってきた話

こんにちは。ギズモ参謀です。前回は愛の重さとイタさで地球の核まで沈んでいけそうな記事を書いてしまいまして、大変失礼いたしました。

今日は私の今年の芝居始めとなった新春浅草歌舞伎についてお話しします。

 

新春浅草歌舞伎とは

その名の通り浅草で毎年1月に1ヶ月間行われる歌舞伎公演です。若手の登竜門と呼ばれています。なぜなら、主に出演されるのは10代〜30代の若手役者さんたちで、普段は大ベテランさんしか勤めないような主役級のお役とかをお勤めになるからです。もちろん何人かベテラン役者さんがサポートで入られますが。

今は主役級のお役をバンバンお勤めの市川猿之助さん、中村勘九郎さん、七之助さん、片岡愛之助さんたちも、かつてはこの興行で修業されたそうです。私が歌舞伎にハマる前に。キーッ!悔しい!観たかった!

まあまあ、沼はご縁です。『60歳まではショタ』がモットーの私はもちろん下は3歳から上は80ウン歳まで幅広く推しがおりまして、この公演も推しだらけなので、観るのをとても楽しみにしていました。実際とても楽しかったのです。あまり歌舞伎に馴染みのない方も読まれるかもしれない前提ですのでまた長くなりますが、その時のことを書きます。

 

お年玉ご挨拶

まずは新春浅草歌舞伎名物、お年玉ご挨拶から始まります。本編が始まる前に、役者さんが日替りでご挨拶をします。私が観劇した日は尾上松也(おのえまつや)さんでした。サポートのベテランさんを除くと、座組では最年長(それでも30代ですが)の役者さんで、公演のリーダーです。

座したまま美しい響きのご挨拶が終わると、すぐマイク片手に立ち上がり、舞台をウロウロしつつ少し砕けた感じで話してくれるのが優しくて憎いです。たくさんのお客さんが来てくれてとても嬉しいこと、座頭としての責任感についてのほか、この後かかる演目の粗筋紹介までしてくれました。親切か。ありがたい。

あと大向(おおむ)こうの練習もしました。◯◯屋!って叫ぶやつです。大向こうは色々とアレがアレで大変な闇を抱えているので、変にハードルを下げるのはちょっとやめたほうが…と思ったのですが、松也さんがやりたいのなら是非もありません。推しの望みは叶えてやりたいのがファンってもんです。なので彼の屋号をシャウトしました。音羽屋(おとわや)!」

 

演目

さて、私が拝見したのは

第一部『傾城反魂香 土佐将監閑居の場(けいせいはんごんこう  とさのしょうげん  かんきょのば)』

義経千本桜 吉野山(よしつねせんぼんざくら  よしのやま)』でした。

この2つは全く別のお話です。豪華2本立てなのです。

第一部とあるからはもちろん第二部もあるのですが、私はある理由(後述)があって第一部のぶんのチケットしか買いませんでした。

ちなみに今回のお席は3階最前列。目の前が手摺です。音声のみでお楽しみました。前のめりダメ絶対。

 

傾城反魂香

吃又(どもまた)とも呼ぶそうです。吃音の人を指す『吃(ども)り』と、主人公の名前を合わせたのですかね。ちなみに『吃り』は現在では差別用語なので、よい子のみんなは使わないでね。ストーリー全容はこちらの神ブログをご覧ください。いつもお世話になっております。

「傾城反魂香」けいせい はんごんこうはんごんこう - 歌舞伎見物のお供

乱暴に申し上げると、吃音持ちの絵師又平とその奥さまが、絵の師匠から名字をもらいたくて(=一人前と認定してほしくて)頑張るお話です。『傾城反魂香』という長いお話から、『土佐将監閑居の場』という場面だけを抜粋したもので、もちろん前後のお話も存在するのですが、今はこの場面だけが上演されることが多いみたいです。そういう上演スタイルを『見取(みど)り』というらしいです。以下ざっと感想です。

坂東巳之助(ばんどうみのすけ)さん演じる又平。

痛々しいくらいの頑張り屋さんでした。うまく言葉が出なくても、伝えようとすること自体を決して諦めたりしないガッツの持ち主。やっと口にできた言葉で弟弟子に『様』まで付けて懇願した時、私の抱きしめたさがMAX。あたたかいココアをあげたい。

からの最期の自画像描き。ものすごい気迫でした。たぶん何にも考えてなかったんじゃないかな。スポーツでいうとゾーンに入ってる感じ。あとはキッカケだけ、運だけ、というところまで行けても、そこから先を掴めるのかは、日々の精進がモノを言うのだと思います。起こった奇跡はある意味奇跡ではなく、又平の才と精進の賜物だったのではないかと思います。又平おめでとう!晴れ着を着る様が誇らしげで、心なしか裃も嬉しそうでした。

中村壱太郎(なかむらかずたろう)さん演じる、又平女房おとく。

実際拝見するまではおしゃべり奥さまなのかと思っていましたが、印象は真逆でした。しゃべるけど、余計なことは一切言わないのです。ただ言うべきことを言って、又平の言葉を代わるだけ。一心同体。信頼関係がすごい。又平の代弁をする時も、又平が訂正を入れたがることは一度もありませんでした。ずっとそうして寄り添ってきたんだろうな、と、すぐにわかります。

そばにいてくれたら訳もなく泣けてきそうな女性です。あと鼓も打てるし、お綺麗だし。完璧。

中村梅丸(なかむらうめまる)さん演じる修理之介(しゅりのすけ)。

美少年。お師匠さま、ズルい!というレベル。最年少のお役ですが、梅丸さんご本人も座組では最年少です。リンクしていて楽しい。

名字をいただいても全く驕る様子がないのが上品で好感がMAX。お師匠さまのおうちでの振る舞いが勝手知ったる感じなのが、絵だけでない精進を感じさせます。又平に様付けで縋られて、苦しそうに振り切るのがつらい。素直で謙虚ないい子でした。

中村隼人(なかむらはやと)さん演じる狩野雅楽之助(かのううたのすけ)。

とりあえず床板を踏み鳴らす音がデカくてとても勇ましい。声もデカい。剥き身の刀を携えてやって来るので緊迫感がすごいです。

助けを呼びに来てるのにバッチリ華を振りまいてくれる隼人さん。出番は短いですが、印象が強すぎです。素敵。

大谷桂三(おおたにけいぞう)さん演じる土佐将監。

ベテラン枠そのいち。自分ちの庭に虎がいても全く動じない強メンタル。しかもその正体をすぐ見抜くことで、力量が伝わるようになってるのが憎い演出。あと煙管で煙草吸うのかっこよすぎ。歌舞伎ではお香を焚いたり煙草を吸うのをガチでやってくれるのですきです。嗅覚まで使って観る感じ。

お師匠さまも又平のこと本当は超カワイイかわいいしたいのだと思いますが、絵師として、そんな理由で名字をあげることはできないのがつらそうです。だから最後又平が泣いて喜ぶのを見て力強く頷いたり、裃を着てはしゃぐのを眺める姿の優しいこと。よかったですねお師匠さま、お疲れさまです。

中村歌女之丞(なかむらかめのじょう)さん演じる将監女房北の方。

ベテラン枠そのに。こちらもお師匠さまに絶妙な距離感で寄り添っていらっしゃるのですが、とても上品で、且つ、お師匠さまのお立場をとてもよくおわかりなのだなと思いました。お師匠さまが又平の涙ながらのお願いを何度はねつけても諌めないところとか。

でもとても優しいお方です。きっとお弟子さんたちのお世話とか焼いたりしてこられたんでしょうね。修理之介と又平が名字をいただいた時「でかしゃった(よくやった)、でかしゃった」ってメッチャ喜んでくれます。おとくのことも労ってくれます。超いいひと。裃のサイズまで気にかけてくださいます。尋ねる時の声も優しい。ママ。

 

主人公に何らかのハンデがある場合、そこに焦点が当てられがちだと思うのですが、私はこのお話はそうではないのだと感じました。

確かに又平には吃音というハンデがあります。当時はさぞ風当たりの強かったことでしょう。しかし又平が立ち向かわなくてはいけないのはそこではなく、如何にして絵師として結果を出し、師匠に認めてもらうのかだった気がします。純粋に絵師としての自分と戦う、アツい物語だったのだと思います。演目としても初見でしたが、とてもグッとくる素敵なお芝居でした。

 

吉野山

舞踊です。セリフもありますけど。実はお席の関係で終始ほとんど見えなかったので、書くことはあまりないんですが、華やかな雰囲気が最高の演目です。だいすきです。こちらも『義経千本桜』という長〜い物語の一部だけを切り取ったものになります。ストーリーはこちらの神ブログをどうぞ。

「道行初音旅」 みちゆき はつねのたび (「義経千本桜」) - 歌舞伎見物のお供

春のお話なので、背景は桜が満開で、天井にも花みたいなやつが吊ってあります。舞台上に姿を見せて歌を歌ったり楽器を演奏してくださる方々も、背景から浮かないよう、ピンク系のお色の裃を着ていらっしゃるのです。かわいい。全くの第三者としてではなく、いつも物語の一部として溶け込むようにそこにいてくださるので素敵です。未だに清元と竹本と常磐津の区別もつかない私ですけど、いつもありがとうございます。

 

グルメタイム

さて、華やかな気持ちで浅草公会堂を後にしたら、浅草グルメタイムの始まりです。

実は、私が初めて拝見した昨年の新春浅草歌舞伎では、1日で第一部と第二部を通して観劇するという強行スケジュールをブチ込んだために、全く浅草を歩けなかったのです。せっかくの遠出ですし、今回は第一部だけ観劇して、後はお食事を楽しむことにしました。

そして私にはありがたいことに、大変親切なツイッターのフォロワーさんがいらっしゃいます。浅草の美味しいお店をたくさん教えてくださいました。持つべきものは素敵な先輩です。その中から2軒、実際に伺うことができたので、そのことを書きます。

 

1軒目。ギャラリー・エフ。その名の通り、ギャラリーとカフェが併設されているアーティスティックすぎるお店です。「ギズモちゃんの雰囲気に合いそうだと思う」なんて紹介いただいたら、行くしかないじゃないですか。行ったんですよ。そしたら。

超絶好みだったんですよ。

通りに面してはいるんですが、控えめな小さいお店で、テーブル係は魔法でも使えそうな不思議な雰囲気のおばさまおひとり。これ知ってる。なんか都内のミニシアター1館で1日1回上映されるフランス映画でしょ。お店出て振り返ったらもうどこにも見つからないやつでしょ。知ってる知ってる。おまけに注文させていただく時におばさまから放たれた究極にポエティックでシネマティックでファンタスティックなセリフ「何にいたしましょう?」何?いま何て?もうだめ。私は天を仰ぎながらオムライスランチを注文しました。人間界の日本円で800円ちょっとくらい。

これがまた美味しい。先に出されたサラダも美味しかったです。オムライス、卵がお皿全体にとろとろにかけてあるんですけど、胡椒がアクセントになってまして、何となく朝ごはんのスクランブルエッグ感があって面白かったです。たぶん私あれ起き抜けでも完食できます。ほんとにすきなお味でした。

ギャラリー・エフ 浅草

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そして2軒目。紀文堂浅草総本店2階喫茶。1階はお持ち帰り用の人形焼を販売されてます。とっても美味しいみたいです。中村隼人さんも公演中はよく召し上がっておられるとか。いっぱい食べるきみがすきです。

今回は脇の階段でお2階へ。ご家族連れや外国人の方々、はたまた観光途中のご婦人方に混じって、たった1人で窓際に座る、私。最高にロックです。あんみつとみつまめで一瞬迷いましたが、ロッカーなのでよりロックなほうを選ばなければなりません。私はクリームあんみつを注文しました。これがパンクです。800円くらいでした。あたたかい日本茶付き。

こちらもとても美味しかったです。黒蜜って大体ちょっとしつこいからどうかなと思ったのですが、1滴残らずいただいてしまいました。パフェのやつみたいなサクランボが乗っててテンションがMAX。ロッカーたるもの童心を忘れてはいけません。yeah。

もはや気分はロンドンを拠点とするパンクロッカーだったので、長居は無用だぜとばかりに食べ終わってすぐにお会計を済ませ(ゆったりできる雰囲気のお店なので、みんなはゆっくりしていってね)、レジ対応してくださった素敵なおじさまにご馳走さまでしたを忘れずに言い、コートとマフラーを脇に抱えたまま強風吹き荒れる浅草へと降りていきました。ロンドンに比べたら全く寒くないぜと思ったのですが、普通に寒かったです。ロンドン行ったことありませんけど。

ご挨拶 | 浅草 紀文堂総本店

 

そんな感じで、私の最高の芝居始めは終わりました。ありがとう素敵な役者さんたち、ありがとう浅草。

また来年も観たいです。

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福山雅治氏のライブに行って泣いた話

相当イタい上に長い話になるので読んでくださる方は覚悟してほしい。

ちなみに記事内では福山氏とお呼びする。「ましゃ(福山氏の愛称)」だとライブでもないのにちょっと恥ずかしいし。ちなみにライブでもあまり叫べないタイプ。

さて、タイトルの事件は、昨年12月に横浜で行われたライブ『福山☆冬の大感謝祭  其の十六』で起こった。個人的にこのことは福山雅治ファン人生史上とても重要なターニングポイントとなったので、超長文だが書いておきたかった。

先に結論を申し上げておく。ものすごく乱暴に言うと、涙の原因、それは『ピーターパンの死』である。

 

そもそも

順を追ってお話ししたいので、私の福山雅治ファン人生をプレイバックしておこう。

時を遡ること10年。皆さんは覚えておられるだろうか、小説家の東野圭吾氏の本を原作にした月9ドラマ『ガリレオを。

物理学LOVE!謎不思議LOVE!人間に興味なし!自分の心に素直すぎて周りから変人扱いされている湯川学准教授と、

義理人情に厚く絆されがちだが、矜持を常に持ち、真っ直ぐ本音で人にぶつかっていく内海薫刑事との男女バディ探偵物語である。

この主人公湯川学を演じたのが福山氏である。

元々東野圭吾氏のファンだった当時高校生の私は何の気なしにドラマを観始めた。とはいえ原作も未読だったし、福山雅治と聞いても朧げに顔が浮かぶかどうかという有様だった。当時の私はエドワード・エルリックが世界の中心だったからである。そして。

結果、大ハマリした。

公式イケメン設定、美声、マシンガン物理トーク、毎話ブチ込まれるサービスシーン、だんだん内海刑事に絆されていく様、つらい過去…。

このラノベ?と問い質したくなる設定モリモリな湯川先生とオタク心をくすぐる脚本演出に、私は夢中になった。本編はなるべく毎週リアタイし、主題歌のCDを買い、主題歌が披露される音楽番組までチェックした。同じ次元(厳密には違うが)に生きる推しにそれはもう舞い上がった。

しかしどんなに素晴らしいドラマもいつかは最終話を迎える。放送終了後、毎週ご尊顔を拝しお声を拝聴する日々に慣れきってしまっていた私は、程なく禁断症状を発症した。その苦しみから逃れるため、ここにはとても書けないようなこともした。察してほしい。湯川先生は私に闇のオタクとして慎ましく生きていく全てを教えてくれた。つらく美しい日々だった。そして思いついた。ラジオがあるじゃん、と。

 

ラジオ

当時一端のアニオタを気取っていた私は、幾つかのアニメ系ラジオ番組を拝聴していたので、新聞のラテ欄で福山氏のお名前をお見かけしたことがあるのを覚えていた。

軽い気持ちだった。湯川先生の声が聞きたいな、って。あくまでも湯川学というキャラクターのファンだったのだ。そうして私はある土曜日の深夜、魂のラジオと出会うことになる。

 

魂のラジオ(通称魂ラジ)』とは、オールナイトニッポンシリーズの1つとしてニッポン放送で15年に渡って放送され続けたモンスター長寿深夜ラジオ番組である。福山氏はこの番組でメインパーソナリティーを勤めておられた。

私は当然湯川先生との再会を期待した。しかし、ドキドキしながらつけたラジオから流れてきた声は湯川先生のそれではなかった。いや面影は感じる。が、先生がしゃべってる!きゃー!とはならなかった。そこにいたのは、ファンから愛称で呼ばれ、メールを読んでは爆笑し、下ネタを連発し、ラジオなのに突然ギターを教え始めたりする、福山雅治氏そのひとだったのである。

面食らってしまった私は、それでも回らない頭でトークを聞き続けた。すごく面白かったのだ。ギターの専門的な話には全くついていけなかったが、ギターがすきなんだな、そういやミュージシャンだもんな、と思った。はしゃぎ方が少年のようだった。すきだな、と思った。

 

それから私が本格的に番組のリスナーになり、福山氏の人柄を知るようになり、やがてファンになるまでそう時間はかからなかった。

ギターが本当にすきなこと、お酒も旅も写真もバイクもすきなこと、ファンを大事に思っていること、美女を連れ歩く男を見ると難癖をつけること、エイズ啓蒙活動に貢献していること。ラジオがたくさん教えてくれた。夢中でCDを集め、写真集を買い、父にギターを習い始めた。

福山氏の声もだいすきになった。一際低くなる時に、空気というか喉というか、そういうのがざらざら震えるのがすきだった。その振動を感じようとCDプレイヤーに手をあてて聴くこともあった。キモい。

かくして土曜日の深夜は私の大切な時間になったのだが、それを更に特別にしたのは、魂ラジ生放送だという点だった。

私がCDプレイヤーをラジオ選局モードにし、AM1242に数字を合わせている正にその瞬間、福山氏はマイクに向かってしゃべっているのだ。もはや実質おうちデートと言っても過言ではない。自分の部屋をもたせてもらえる家庭で良かったと心底思った。そうでなければ両親に土曜日の深夜に90分間ニヤける口元を押さえ続ける娘の痴態を晒すことになる。事案である。幸い私は自分の部屋で、軽妙なトークに毎週思う存分腹を抱えて笑うことができた。

そうして聴き続けるうち、この番組は私の中で確固たる存在になっていった。土曜日の深夜、ラジオをつければそこに変わらないものがあるという絶対的安心感。どんなに自分や周りの環境が変わっても、土曜日の23時半が灯台の如く私を見つけてくれるのである。

私にとって魂ラジは『変わらないもの』の象徴だった。だから私はこの時間が永遠に続くと信じて疑わなかった。顔も名前も知らない多くのリスナーたちや福山氏と、「じゃあまた、いつもの時間に、いつもの場所で」と言い合い、手を振り、別れ、また集まる、そんな週末が死ぬまで続くのだと。

しかしバカな私は忘れていたのだ。どんなに素晴らしいものにも最終話は来ることを。

 

変わらないものなんてなかった

2014年の暮れ、番組の終了が告知された。耳を疑った。涙すら出なかった。

理由は体力面だった。以前から放送中に眠い眠いと仰ってはいたし、多忙につき番組は録音です、といったこともあったので、もう何も言えなかった。時間帯を変えての継続も打診されたが断ったらしい。福山氏ご自身がかつて救われ続けてきた深夜生放送という価値を維持できないのなら続けるべきでない、という強い意志が、いつものトーンで語られる言葉の端々に滲んでいた。

翌年、私は最終回を自室の布団の中で迎えた。その夜も番組は面白かった。嘘だろと思うくらいいつも通りに笑わせてくれた。毎回最後に弾き語りのコーナーがあるのだが、その夜はたぶん『Good night』というラブソングだったと思う。目を閉じて夢心地に聴いていた。

放送終了直前、長年番組で福山氏の相方を勤められた荘口彰久さんは挨拶の途中で言葉を詰まらせた。笑いながら話しかける福山氏に、荘口さんは静かに泣きながら「うん、うん」とだけ応じていた。福山氏はやっぱり笑っていた。私も笑った。そうして15年続いた魂のラジオは終わった。

 

この時の『ずっと変わらないと思っていたものが、実はそうではなかった』という体験が、私のある幻想を助長するはめになることを、当時はまだ知らなかった。

 

そして結婚

魂のラジオ終了後も私は生きていた。別にラジオ番組が1つなくなっても朝は来るしごはんはおいしい。それがやっぱりさみしいけれど、歌手活動を続けてくれさえすればそれで充分だ。そう思えるようになって数ヶ月後、突如超弩級ミサイルが世界を震撼させた。

 

福山氏のご結婚が報じられたのだ。

 

最初に申し上げておくが私はこのご結婚を心から祝福している。福山氏は自他共に認める360度全方位に気を遣う男である。酒の席では例え自分が主賓でも周囲のグラスの空き具合に目を光らせ、ライブ前は客席最後列まで音を届けようと実際に足を運んで確認してくれる。誰かに喜んでもらおうとするそのひたむきな姿勢に、私は何度胸を熱くしたか知れない。

その裏でたった1人で表現の海を漂う苦しい夜を過ごしているのかと、誠に勝手ながらたいそう胸を痛めてもいた。

大きなお世話にも程があるし、実際ご本人がどのように感じているのかを知ることは誰にもできないが、想像に難くない孤独な夜をずっと1人で耐えておられるのだと思っていた。

しかしこの結婚報道で、福山氏の夜は孤独の夜だけではなかったことを知った。そばにいてくれるひとがいたのだ。私はそれがとても嬉しくて、その日はコンビニでケーキとお酒(下戸のくせに)を買って帰り、家族に総スルーされながら1人で祝杯を挙げた。そしてテレビやネットに溢れかえる阿鼻叫喚を尻目に、悠々と眠りについた。それで終わるはずだった。

 

襲い来る謎のモヤモヤ

翌日から謎のモヤモヤが私を襲った。ニュース番組等でお名前を聞くのを避けるようになり、公式サイトにも行けなくなった。私は福山氏のご結婚をマジに祝福している。氏のご母堂勝子ママに誓ってもいい。私は混乱し、原因を探り始めた。

  1. 自分が福山氏とワンチャンあると思っていた→そんなにおめでたいアタマなら私はもっと幸福に生きているはずだ。論外
  2. 実は奥さまに憧れていたので、福山氏に嫉妬している→奥さまのことはほぼ存じ上げない。これも論外
  3. 自分のものにならないなら誰のものにもならないでほしかった→少々狂愛的だがまあわからなくもない

色々考えたが、どれも違うような気がした。腑に落ちないまま私は福山氏のお仕事を追い続けた。しかし、結婚報道後初のテレビ出演となった不定期歌番組も、奥さまのご懐妊発覚後父親になることについて触れたらしいトーク番組も、録画編集はしたものの、中身を観ずにダビングしてHDDから消してしまった。そんなことが続いた。

 

涙の理由

そして1年後、事件は起こる。2016年12月27日。奇しくも、ファンになって以来全てのライブでスタンド席最後列付近を温めてきた私が、初めてアリーナ席を引き当てたライブであった。

ステージの近さに動揺しながら、私は例のモヤモヤに立ち向かおうと足掻いた。ご結婚後初のライブだった昨年は混乱のうちに終わってしまった。2年連続でこの最高のエンターテイメントをただ通り過がることはできない。しかし1年間も尻尾を掴ませなかった相手に、ライブ直前の10分間で勝てるわけはなかった。

 

ライブが始まった。

照明が落ち、歓声と共に沸き起こった拍手はすぐにリズムを帯びて手拍子へと変わる。俄かにステージが明るくなった時、中央に凛と立つ背中が見えた。

あちこちに設置された巨大モニターに福山氏が映るが早いか、1曲目が始まった。モニターには輝くような笑顔があった。

あ、笑ってる、と思った瞬間、私の涙腺は崩壊した。同行した母に「良かったね、近いね」と話しかけられても、「ウゥ〜〜〜〜ッ」と獣の唸り声のようなものしか返せなかった。わけもわからないまま「変わらないんだ」「笑っていてくれればそれだけでいいんだ」という2つの言葉が頭の中でガンガン響いていた。ライブは最高だった。

 

それから今日まで、どこからか現れたあの2つの言葉をずっと考えていた。

それで、私は結局のところ福山氏に『変わらないでいてくれること』を望んでいたのではないかと思った。

私にとって福山氏はあまりにも夢のような存在なので、まるでピーターパンだと思っていた節があった。初の武道館ライブ、大河ドラマ主演、世界の秘境への探訪、どれだけ色々な経験をして成長しても決して変わらない永遠の少年なのだと。

そこへご結婚という、今までとは比較にならない威力の変化がウエンディの形をして現れ、私はさながらピーターが彼女と一緒に大人になる世界へ行ってしまうのではと怯える迷子のようなものだったのかもしれない。ご結婚を本当に祝福しながら、一方で不安に思ってもいたなんて最低だ。永遠なんてないとラジオの時に思い知ったはずなのに、たぶんそれがこの幻想に拍車をかけてしまった。

しかし、ライブの1曲目、1秒目に見たあの笑顔は、私の夢の福山氏そのものだった。ピーターパン説は間違っていたが合ってもいた。福山氏はもちろんピーターパンではなかったが、少しでもファンのそばに行こうと四方の花道を疾走し、柵に飛び乗って歌う福山氏の笑顔は、ずっと前から何も変わっていなかったのだ。

それだけではない。1年前福山氏はライブ中のMCで結婚のけの字も言わなかった。でも今回は新しい命がうまれたことを話してくれた。爆発する拍手に、手で顔を隠しながら「恥ずかしいからこのへんで…」とすぐ話を変えてしまわれたけど、直接おめでとうを言わせてくれた。ファンを信じてくれたのだ。

私はたぶんあの時ようやく福山氏のファンへの変わらぬ愛と信頼を悟り、申し訳なくて情けなくて嬉しくて泣いたのだと思う。ただ変わらない笑顔が見たかったのだ。証明してほしかった。そして福山氏は応えてくれた。笑ってくれるなら何でもいいや、と思った。

こうして、私の中のピーターパンは1年かかって死んだ。

 

これからも福山氏は様々なご経験を経て美しく変わってゆかれるだろう。けれども見せてくれる笑顔だけは決して変わらないのを知った私は、それを心から楽しみにしている。

 

ところで、福山氏の歌の1つに、こんなものがある。

"その笑顔が見たいよ  それが僕を笑顔にするよ"

ときどき考え過ぎる  生き方の選び方って  そういうことなのかも

一番新しい自分を  一番誇れるように

そうなれるように

ただそれくらいの理由だとしても  頑張れるんだよ

その答えはもう出てたんだよね

その笑顔が見たい  やっぱそれが僕を  笑顔にするんだよ

 

その笑顔が見たい/福山雅治

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その通りなんですよ奥さん!!!!!!!!推しの笑顔最高〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!

私の話

はじめまして。ギズモ参謀です。

このたびブログをやってみようと思い立ちました。

理由は「ツイッターのフォロワーさんの何人かがやっていらっしゃっててイイナと思ったから」とか「ブログってなんかかっこいいから」とか色々あるんですが、私は普段ツイッターに生息しておりまして、そうすると基本的には140字以内で文章を書くことになるわけなんですが、これに慣れてしまうと、いざ長文を書く時ダラダラ長いだけで全くまとまっておらず要点の掴めない文章しか書けなくなってしまうのではないか、と思ったからです。

そんなわけで、少し長めの文章に触れる機会を増やしたいと思い、ブログという手段を選びました。

 

軽く自己紹介しておきますね。

すきなものたち

  • 映画(洋画。アメコミとかアクション系がすき)
  • 本(ロバート・B・パーカー著のスペンサーシリーズがすき。日本人の詩も読む)
  • 音楽(福山雅治氏の大ファンでファンクラブ入ってる。あと解散しちゃったけどandymoriすき。AL応援してる。基本邦楽、たまに洋楽)
  • 海外俳優たち(トムヒ、ドルフ、ドニーさんなど。ちょっとすきになるとすぐ推し認定してしまうので枚挙に暇がない)
  • 歌舞伎(コンテンツ自体がすき。役者さんたちはおうち問わず箱推し。観劇初心者)
  • ギター(エレキ。父から譲り受けた相棒。じょうずに弾いてやれなくてごめんな。練習するよ…)
  • 写真(撮るのも観るのもすき。推しはエリオット・アーウィット氏)
  • 友達(ありがたい)

 

苦手なものたち

  • からいもの
  • ホラー映画、パニック映画
  • ぐるぐる回る系アトラクション(すぐ酔う)

 

こんなものかな。

気負わずやります。よろしくお願いいたします。