頭の中のさまざまのこと

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王様と私と私の話

2019年8月4日、渋谷の東急シアターオーブで、あるミュージカルが千穐楽を迎えた。『王様と私』(原題:The King and I)だ。私は生まれてはじめてのミュージカルをこの作品に捧げた。とにかく激ヤバ体験だった。

 

王様と私  とは

1951年にブロードウェイで初演されて以来、再演を繰り返している人気演目で、作曲家と劇作家のイケイケ鉄板大ヒットメーカーコンビ『ロジャース&ハマースタイン』の5作目のミュージカルにあたる。

ものすごくざっくり言うと、タイの王様に子どもたちの家庭教師として雇われたイギリス人のアンナが、王様や文化とぶつかり合いながら、互いに親交を深めていく物語だ。

以下にめちゃくちゃ詳しくストーリーを書くので未見の人もこれ読んで私と一緒に観た気になってください。ネタバレ無理派は飛ばしてね。

 

ストーリー(超ネタバレ・ちょっとうろ覚え・劇中歌は斜体)

1862年、イギリス人のアンナは息子のルイを伴ってシャム(現在のタイ)にやってくる。王様の子どもたちの家庭教師として雇われたのだ。見知らぬ土地へ期待と不安を膨らませるルイに、アンナは怖さを吹き飛ばす方法を教える(I Whistle a Happy Tune)

出迎えたクララホム首相はアンナたちに王宮に住むように言うが、王様は契約時に王宮とは別の家を約束した、とアンナは拒否し、約束をお忘れであれば直接話すと言い放つ。アンナはひとまず王様への謁見を待つこととなった。

数週間後、王様の元にビルマ(現在のミャンマー)から貢ぎ物としてタプティムという女性が贈られる。見目麗しく英語を話す知的なタプティムを王様は気に入り、随伴のルンタに建築の勉強を許す。実はタプティムとルンタは恋人同士だが、タプティムは王様の所有物になったため、もう会うことはできない。タプティムは、たとえ王様でも自分が心に決めた恋人だけは知り得ないと歌う(My Lord and Master)

そこへやっとアンナがクララホムに連れられて謁見にやってくる。家を要求するアンナを、王様はそんな約束はしていないと突っぱねる。王様はアンナを質問責めにしてやり込めようとするが、アンナは真顔でジョークを飛ばし、シャムの近代化計画について事前に調べておいたことを話してみせる。王様は、自分を恐れず、また科学的であるアンナを気に入り、妻たちにも教育を施すように言い、紹介する。シャムは一夫多妻制なのだ。チャン第一夫人はタプティムに恋人がいることを察しているが、二人はもう会えないだろうと話す。アンナは、それでも好きなのならどうしようもない、と返し、亡くなった夫トムとの恋の思い出に重ねて、若い恋人たちを励ます(Hello, Young Lovers)

王様は、気に入りの者たちにだけ教えればよいと言い、チュラロンコン皇太子を含む十数人の子どもたちを次々に紹介し(The March of Siamese Children)、彼らの愛くるしさにアンナはたちまち夢中になる。

約1年後。アンナは家を諦めてはおらず、授業で家に関する諺を教えていた。そのことを知った王様は面倒ごとが増えたことを嘆き、アジアの諸外国が次々と欧米の支配下に置かれていく今、どうすれば国を守れるのか、人知れず苦悩する(A Puzzlement)

その頃、アンナの授業では、子どもたちと妻たち、そしてタプティムが揃って英語を習っていた(The Royal Bangkok Academy)。彼らとすっかり打ち解けたアンナは、みんなのことを知れば知るほど好きになるのだと話す(Getting to Know You)。アンナは最新の世界地図でシャムを見せたり、雪の存在を話して聞かせるが、雪を見たことのない子どもたちは信じず、シャムがこんなに小さい国なわけがないと騒ぎ出す。そこへ王様がやってきて、見たものしか信じないならば教師は要らないと子どもたちを一喝するが、家にこだわり続けるアンナのことも非難する。家の契約を守らないのなら辞職すると言うアンナに、子どもたちは驚き、引き止めようとするが、王様はアンナに自分のしもべとして従い、王宮に住むべきだと譲らない。アンナと王様は一気に険悪な雰囲気になり、息子のルイとチュラロンコン皇太子も互いに喧嘩腰になってしまう。アンナとルイは部屋を出ていってしまい、残された王様は途方に暮れる。

チュラロンコン皇太子はルイを追いかけ、喧嘩になりかけたことを詫び、ルイも謝罪を受け入れる。二人は、大人たちですら物事の正解はわからないように見えることを嘆く(A Puzzlement (Reprise))

一方、タプティムのことを諦められないルンタは、人目を盗んで彼女を訪ねる。二人は会うこともはばかられる現状を憂い、いつの日か太陽の下で自由になれることを願う(We Kiss in a Shadow)

夜、アンナは自室で帰国の荷造りをしながら、王様の態度に悪態をつき、別れてしまう子どもたちとの思い出を振り返る(Shall I Tell You What I Think Of You?)。そこへチャン第一夫人が訪ねてきて、王様に会ってほしいと頼む。夫人は、王様は本心ではアンナとの仲直りを望んでいるのだと話し、極秘に入手したイギリス宛の書簡にシャムと王様は野蛮人であると書かれており、その対応に苦慮している様子なのでさりげなくアドバイスをしてほしいと言う。アンナは驚き、王様には確かに悪いところもあるが野蛮人ではないと答えるが、だからといって会う気にはなれない。夫人は、王様にはアンナの愛が必要なのだと必死に説得する(Something Wonderful)。夫人の王様への深い愛に胸をうたれたアンナは、頼みを聞き入れ、王様に会いに行く。

自室で本を読み耽る王様は、アンナとの仲直りのきっかけを掴めずにいたが、アンナが訪ねてくると、アンナから謝罪の言葉を無理やり引き出し、すぐに許す。アンナがそれとなく話題を振ると、王様はイギリスの特命大使がシャムが野蛮で未開の国であると報告しようとしていることを明かす。アンナは王様の考えを当てるふりをして、評価のため訪ねてくる予定のエドワード特命大使らを西洋式晩餐会でもてなし、シャムも王様も野蛮ではないと証明することを提案する。更に、タプティムがアンナからもらった小説『アンクル・トムの小屋』を基に戯曲を書いていたため、晩餐会でその芝居を披露することになる。次々に詳細を決めていく中、なんとエドワードたちが予定より早くシャムに到着してしまい、船の礼砲が響き渡る。夜を徹しての晩餐会準備に取り掛かる前に、王様は妻たちと子どもたちを叩き起こし、全員で仏陀へ祈りを捧げ、遂にアンナへ約束の家を用意することを誓う。

その日の夜。王様の妻たちは、チャン第一夫人の現場指揮の下、急ごしらえの西洋式ドレスや靴と格闘していた。夫人は、アンナは科学的で常に正しいけれど、野蛮人でないと証明するために西洋式ドレスが必要だとは理解できないと面白おかしく歌う(Western People Funny)。そこへアンナと王様が合流するが、ドレス用の下着を用意するのを忘れていたことが発覚したところへ、エドワード特命大使が部屋に迷い込んできてしまう。妻たちは驚き、下着をつけていないことも忘れ、ドレスを翻して一斉に逃げ出してしまい、王様も来賓挨拶のため追って退室する。二人きりになったエドワードとアンナ。エドワードは、実は旧知の仲であり、かつて結婚を申し込んだこともあるアンナをダンスに誘い、イギリスに戻ってこないかと説得する。戻ってきた王様は踊る二人を見つけると、ダンスは夕食の後だと間に割って入り、アンナに自分の腕を取らせる。

タプティムが離れでルンタを待っていると、チャン第一夫人がやってくる。夫人は、ルンタとの仲を知っていることを仄めかし、ルンタに今夜のビルマ行きの船に乗るよう指示したことを告げると、劇場へ早く向かうように言い、その場を去る。動揺するタプティムの元にルンタが駆けつけ、芝居が終わったら一緒に船に乗って自由になろうとタプティムを誘い、タプティムもそれを受け入れる(I Have Dreamed)。本番直前になっても会場に現れないタプティムを探しに来たアンナは、二人が一緒にいるところを見つける。タプティムとルンタは、これまで二人が忍んで会えるよう手助けをしてくれたアンナに感謝を示し、今夜発つことを告げ、走り去る。アンナは二人の旅路の無事を祈る。

エドワード、アンナ、チャン第一夫人、そして王様の前で、タプティムの語りによる舞台『アンクル・トーマスの小屋』の上演が始まる(The Small House Of Uncle Thomas)。主人公イライザはサイモン王の奴隷であったが、離ればなれになってしまった恋人ジョージを探すため、子どもと共に逃亡するというストーリーであった。劇の終盤、イライザを追って現れたサイモン王が、イライザのために仏陀が遣わした天使の奇跡によって、川で溺れ死んでしまう。タプティムはイライザに自分を重ね、語りの中でついサイモン王が死んで嬉しいとこぼしてしまい、王様の怒りに触れ、劇は中断しかけるが、夫人のとりなしで何とか再開され、エドワードらは満足して王宮を後にする。

晩餐会がおひらきになった後、アンナが王様を訪ねていくと、王様は、エドワードたちがシャムについて野蛮で未開な国だとの報告を改めるつもりであるという情報を入手したと話し、上機嫌であった。そして、今回の件で大きな協力をしたアンナに、身につけていた豪奢な指輪を褒美だと言って渡す。

一方で、劇の中で奴隷制について暗に批判をした挙句、行方をくらましているタプティムについては、苛立ちを隠さない。アンナは知らないふりを貫きつつ、大勢いる妻たちの一人に過ぎないタプティムに何故こだわるのかと問う。王様はアンナがシャムの女性観にやっと理解を示し始めたと喜び、シャムの男女観について話して聞かせる(Song of The King)。アンナは、西洋のように男女が互いに生涯一人だけを愛すると誓うことは美しい考えであると説明し、かつて社交界で男性にダンスに誘われた時のときめきを語る(Shall We Dance?)。結婚前の女性が夫以外と踊るのかと驚く王様に、友達同士でも踊ることがあるのだとアンナは説明する。それを聞いた王様は、ならば我々も踊ろうとアンナを誘い、アンナはポルカのステップを教える。手を取り合い子どものようにしばらく踊っていたが、王様は突然アンナの手を離してダンスを中断し、晩餐会で客人らがそうしていたように、正式な組み方をしようとする。王様はアンナの腰を引き寄せ、二人は華麗なステップで所狭しとポルカを踊る。二人は言葉にせずとも通じ合うものを感じる。

もう一度踊ろうとするところへ、クララホム首相が、タプティムを捕らえて部屋に連れてくる。タプティムは僧侶の服を着ており、変装してビルマ行きの船に乗り込もうとしていたことがわかる。重大な裏切り行為に激昂した王様は、罰として鞭を打とうとするが、アンナが止めに入る。近代的であろうとしている今の努力が全て無駄になってしまうとアンナは必死に説得するが、王様は聞く耳を持たない。そして遂にアンナは王様に「野蛮人」と叫んでしまう。その言葉に大きなショックを受けた王様は、胸を押さえながら鞭を捨てて部屋を出ていく。直後、行方不明だったルンタが遺体で見つかったという報告が入り、タプティムは悲壮な覚悟と共に連行されていく。後に残されたクララホムは、お前が王様をダメにしたのだ、お前など来なければよかったとアンナに怒りと悲しみをぶつける。アンナは王様から贈られた指輪をクララホムに返し、来なければよかったと答え、部屋を出ていく。

数週間後、王様の容体が悪化したことが、チャン第一夫人とチュラロンコン皇太子に伝わる。王様はあれ以来心臓を患っており、生きる気力を失い、危篤に陥っているのだ。帰国のため荷物を運び出していたアンナとルイの元に、夫人と皇太子が訪ねてくる。夫人は王様からの手紙を渡す。そこには、アンナへの深い感謝の言葉が綴られていた。王様の元へ駆けつけようとするアンナに、ルイは、相手が死にかけていると友情は戻るのかと尋ねる。アンナは、互いに傷つけ合っている時間はないのだと答え、王様はある意味であなたと同じくらい心の若い方なのだと諭す。王様のことが好きなんだねとルイは言い、アンナはとっても好きよと答える。

王様は寝室でベッドに横たわっており、やってきたアンナに数週間ぶりだなと声をかける。やつれた王様にアンナはショックを受けながら、実はもうすぐ発つのであまり時間がないのだと告げる。王様はアンナに再び指輪を渡し、つけていてくれと頼む。そこへ子どもたちが訪ねてくるが、王様より先にアンナへ駆け寄り、口々に帰国を取りやめるよう懇願する。無礼を咎めるチャン第一夫人を、王様はそのままにさせろと宥める。子どもたちの一人が、アンナへ宛てた手紙を諳んじる。導き手を失うことを恐れる子どもたちに、王様はどのように振る舞えばよいのか教えてやれと促す(Finale Ultimo)。自分を慕ってなおも引き止めようとする子どもたちに負け、アンナはとうとうシャムに留まることを決める。

王様はチュラロンコン皇太子をそばへ呼び、アンナに次の王の言葉を書き留めるように言う。チュラロンコンは、即位したら公布するつもりであるお触れをいくつか挙げ、最後に、今までシャムの伝統であった王様へのお辞儀の仕方を改めさせると宣言する。地面へ平伏する様子がカエルのようで惨めだとアンナが嫌っていた風習だ。反対するかと顔色を伺うチュラロンコンに、王様は、王はお前なのだから病人に尋ねるなと言ってみせ、アンナにはお前の影響だなと言う。アンナは、そうだといい、と答える。チュラロンコンが新しいお辞儀の作法を皆に告げる中、王様は静かに息を引き取る。

 

出会い

2018年末、このミュージカルの来日公演が発表された。私は、わけもわからないまま、行くしかない、と思った。調べたら先行抽選ではなく先行販売というめちゃめちゃアレなタイプのアレで、4週間しか公演期間ないのにエグいことするやんけ!!!!!とブチギレたので気合いでめちゃめちゃ前方の席を買って、後から字幕が読みにくいかもしれないことに気づいた。あほ。

さらにあほなことに、この時点ではあらすじも出演者も何も知らなかった。確かに王様を務める渡辺謙は最高にイケてるのでもちろん存じ上げていたが、特に推しというわけではなく、アンナを務めるケリー・オハラに至っては顔もお名前も知らなかった。そんなノリと勢いでチケットを確保した愛すべきオタクたちへ、東宝東和が手を差しのべてくれた。2018年のロンドン公演を収録した、ライブビューイングの特別上映会である。これも3日間限定というめちゃめちゃ強気なスケジュールだったので、私はまたしてもブチギレながら席をおさえた。2019年2月の出来事である。

 

特別上映会

最高の日にしようと決めていた。

日比谷とタイマンをはれる服(当社比)を着て、まずは早朝、品川。『ギルティ』(原題:Den skyldige)というデンマークの映画を観るのだ。緊急通報司令室のオペレーターとして日々を過ごす主人公が、現在進行形で誘拐されているという女性からの通報を受け、音声だけを頼りに彼女を助けようとするサスペンスで、とても面白そうだったので是非観たかった。その前にアンナミラーズで朝食をとった。実はこれもお目当てだった。人生初のアンナミラーズ!!なんでも国内では品川にしかお店がないらしい。モーニング、こんなに素敵でおいしいのに。卵は調理法が、肉は種類がそれぞれ選べたので、スクランブルエッグとベーコンにした。本当はシェイプオブウォーターに登場するキーライムパイも気になっていたけど、映画に遅れそうだったので泣く泣く諦めた。次は食べたい。

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映画はとても面白かった。いわゆるワンシチュエーションというやつで、主人公アスガーが勤める司令室で話が全て展開していって、最初から最後までほぼアスガーしか映らない。横顔がうつくしい。スリリングな展開の末にある衝撃の事実が明らかになり、それまでの全てがひっくり返ってしまった時、お、おまえ〜〜〜〜!!おまえ〜〜〜〜〜!!!!??????そういうことか〜〜〜〜〜ッッ!!??!?!!ハア〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜面白かった。出会う機会があったら是非どうぞ。

 

次は日比谷に移動。街並みがオシャレ。空気が違う。新宿がクリームソーダだとしたら、日比谷はストレートティーみたいな感じ。すっきり飲みやすくて口をつけるのが躊躇われるくらい静かで美しい紅茶みたいな。わかんない?私もわかんない。ともかくあまりに洗練されていてウロウロしにくい。とりあえず遅めの昼食をとった。食べてばかりだが何も問題はない。ひつじやさんのカレー、とてもおいしい。辛いものが苦手なので、まろやかそうな大根のカレーにした。大正解。何もかもがおいしい。お外で食べるカレーはナンを選びがち。

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そしてとうとうライブビューイング版『王様と私』を観る時が来た。

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広くてきれいで素敵な映画館の、これまた大きくて素敵なスクリーンに通された。前から2列目の席しか取れなかったので、かなり見上げる格好になる。年上のお姉さまたちが多い。パンフレットの販売はない。緊張してきて無意味に鞄の取っ手を握る。周りのマダムたちは「当時、ロンドンまで観に行ったのよ」などと異次元の会話をしている。ロンドンまで?舞台を観に???ロンドンまで舞台を観にいく人生????最高かよ??????私も将来あんな素敵なマダムになりたい…などと思ううちに上映が始まった。

え?

は?

な、何……

何これ……

う、歌がうまい…歌が…歌…声……

ハアッ、何いまの、うわ、うわ、わ、え?え??????今の顔もう1回

待って待って待って待って

何、な……待って…うそでしょ……そんなのアリかよ…………

あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜すごい〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

なんかもう何もかもレベルが高すぎてすごかった。1曲目からあのレベルの歌が来るのヤバくない?1曲目だよ?エンジン吹かしすぎじゃない?大丈夫?とか思ってたらそんな愚かな心配を丸めてキャンプファイヤーしてマシュマロを焼くみたいな歌がガンガン来て焼かれたのは私だし語彙力は死んだ。この舞台を半年後にナマで観られるなんて信じられない。謎の運命を感じてチケット戦争を勝ち抜いた過去の私thank you。お前の感性に乾杯。ケリーオハラ、こんなに素敵なひとがこの世にいたなんて。世界は輝いてる。歌がうまい。リスニングスキル皆無だけど声が聞き取りやすすぎる。どんな訓練したらあんなふうに歌えるの?声に感情が乗ってるのがわかる。演技がエモーショナルすぎる。あと渡辺謙ヤバい、まずスキンヘッドが美しい、艶のある衣装が最高に似合う、足首が美しい。王様かわいい。子どもみたい。実際そばにいたらブッ飛ばしてやりたいくらいワガママだし男尊女卑も甚だしいけど、ただ国を守りたい一心で、とても素敵。かわいいだけじゃないことがわかる場面があちこちにあってバランスが絶妙。チャン夫人素敵すぎる。愛しか感じない。あなたがナンバーワンだよ。ルンタはめちゃめちゃ逞しい腕してた。あと歌がうまい。I Have Dreamed 最高。タプティム、美しい。歌がうまい。高音がエグい。My Lord and Master で一瞬で全て持っていってしまう。Getting to Know You でルイと踊るのがとてもかわいい。大沢たかおは大胸筋しか覚えていない。

ミュージカルといえば劇団☆新感線のSHIROH、しかも映像でくらいしか知らなかった私にこれは劇薬だった*1。放心状態でスクリーンを出た。パンフレットの販売はない。サントラの販売もない。そのままお芝居をひとつ観に行った。私自身が所属している小劇団の裏方メンバーの1人が主宰を務めたお芝居だった。ギリギリ入場だったけど無事に観劇できて、帰りは同じ回を観ていたソウルメイトと梅蘭に行っておいしい炒飯をつつき合った。生活をそのまま覗き見ているみたいな感じの垣根のない空間で、とても面白いお芝居だった。

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それから興奮冷めやらぬままサントラの存在を調べて、輸入盤のほうが安価だったので早速注文した。届いたCDのブックレットは写真入りで、もっと素っ気ないもんだと思ってたのでとても嬉しかった。無事にPCで再生できてひと安心。公演の合間を縫って新録したものらしくて感謝しかない。歌に入る前や間のセリフも入ってて『わかってる』感がすごい。Shall we dance? 渡辺謙のCome…のところだけ3億回くらい再生した。

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インターネットで公演当時の観劇レポを読み漁り、作品についても考察を読んだ。役者陣には概ね好意的である一方、作品自体へ眉をひそめる意見もあった。曰く、西洋的な考えを押しつけていて上から目線なんだそうだ。

まあ思い返せば確かにそういう面もあった。

シャムが野蛮ではないと証明するために西洋風晩餐会を催すあたりとか。確かに西洋に寄せるというのはわかりやすいけれども、シャムはシャムのまま、民族衣装と裸足のままで、彼らの流儀でエドワードたちをもてなすことはできたはずだと思う。でも私がそう思うのは2019年に生きているからだとも思う。私が当時のシャムにいても、同じモヤモヤを感じることができるか自信がない。そういう意味でWestern People Funny は秀逸な曲だ。カットされることもあるらしいけど、この曲なしでどうやって西洋優位感とのバランスを取るのか不思議。

それにアンナを呼び寄せたのは他ならぬ王様自身なのだ。王様はシャムに近代的でない部分がある自覚があって、変えなければならないという問題意識もある。欧米の列強と渡り合うために嫌々だったとしても。アンナは教師で、西洋の知識を教えるのが仕事だし、それを求められているのだし、王様の前で言ってみせたように、シャムの近代化計画のことも知っている。だからアンナが自分の持つ考えを是とする図式は必然だし、アンナがシャムや王様の文化とか考えを、素敵ですねとわかりやすく尊重するような描写はない。だからバランスが悪く見えるのかもしれない。

けれども、アンナは間違いなく彼らを大切にしている。それは王様に正しく伝わっていて、だからアンナへ宛てた手紙に「お前も精一杯人々を大切にしていた」と書いたのだ。手紙にはこうもある。「お前は正しいことを言い、それゆえ私は怒りを覚えた」。王様は努力していた。法であり文化であり国である自分を変えるのはとても難しくて勇気が要る。自国の文化の何を良しとして残し、何を変えるか、しかも威厳を保ったままで。その取捨選択と立ち振る舞いの難しさといったらなかったと思う。結局は上手にはできなかったけど、たぶんその怒りと同じだけ努力した。すごい。ものすごいパワーだと思う。新しいものを受け入れようとするパワー。たとえ時に怒りを覚えてもそれを継続するパワー。ある意味自ら傷つきに行くパワー。王様、すごい。尊敬する。

だからこそShall we dance? の場面が輝くのだと思う。踊っているあの瞬間だけは、たぶんアンナと王様は雇用関係者ではなく、文化の代表者同士でもなく、友達だったのかもしれない。友達同士なら踊ることができるポルカ。ふたりの折り合いの象徴みたいな感じがする。アンナは最後までシャムの一夫多妻制をはじめとする文化を良しとしなかったし(それらの文化が本当に良いか悪いかは別にして)、王様も最後まで自分を理想通りに変えられずに苦しみ抜いた。そんなふたりの、友達のポルカ。舞台装置の柱が動くのもよかった。広いお部屋をいっぱいに使って踊ってるみたいに見えて素敵だった。このポルカが本当に美しかったから、その後にやってくる全てのことの悲しさが際立つんだけど。

王様はタプティムに鞭打とうとする時、止めるアンナに向かって、弱い王よりましだ、私のやり方でやるんだと叫んでいた。秘密警察やクララホム首相たちの前でタプティムを罰しないことは、王の威厳を損なうことになることとこれまではイコールだった。結局できずに部屋を出ていく時は、私は強いのだとまるで言い聞かせるように叫んでいた。王様は強くありたかった。けれど受け入れようとしている新しい価値観においては、鞭打たずとも強くあれる方法がある。強くあるというのはどういうことなのか、受け入れるもの、受け入れないものの選択の、とても危うい鮮烈なシーンだったと思う。異文化同士の衝突はたぶんきっかけというか、2019年現在も規模を問わずそういう出会いはあちこちで起こっているからそれもあるんだけど、そのもう少し奥にある、自分とは違うものを受け入れようとすること、それに合わせて自分を変えようとすることが如何に難しく時に痛みを伴うものなのか、違うものを流しこもうとする側の、力になりたいという100%の善意の素直さ、危うさ、素晴らしさ、けれどそれでもふたりがポルカを踊れる瞬間が来ることの素敵さ、みたいな普遍的なものが『王様と私』にはあるのではないかな…全然うまいこと言えないな…何を言っているのかわからねーと思うが私もわかってない。

 

準備

とにかくかなり素敵な体験だったので、なんとしても伝えたい溢れ出すこの気持ち。というわけで公演まで5ヶ月くらいあるのに気持ちがはやり過ぎて公式にプレゼントボックスの有無を問い合わせた。こいつ生き急ぎすぎだろって絶対思われた。でもイベントを待つオタクの前では明日って今なので。

そしたら、設置予定です、って返信があった。

いやプレゼントボックスあるんか〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い!!!!!!!!!!!!!!

いや問い合わせたのは私なんだけどそんな若手俳優現場みたいなことある?キャストはまだ全員は発表されてないけど、来日公演だし、日本の俳優はたぶんほとんど使わないでしょ。え?プレゼントボックスあるの?マジで?いけるんちゃう?渡辺謙とケリーにファンレター、いけるんちゃう???

軽率に推しが増えるタイプのオタクをやっているので、この時点で既にすっかり主演ふたりの新規ファンと化していた私は、素敵な便箋と封筒を求めてアマゾンの奥地へ向かった。

伊東屋
https://store.ito-ya.co.jp

ミドリ
https://www.midori-store.net/smp

榛原
http://haibara-shop.jp

&note
http://andnote.theshop.jp

遊星商會
http://planet-and-co.net

古川紙工
https://www.furukawashiko.com/smarts/index/0/

アトリエ アンクルダンクル
http://encledencle.com

手紙舎
http://tegamisha.shop-pro.jp

鳩居堂
http://www.kyukyodo.co.jp/index.html

G. C. PRESS
https://gc-press.co.jp

PIE International
https://pie.co.jp/letterbook/lineup/

ウィングドウィール
https://www.winged-wheel.co.jp/envelopes-cards

4ヶ月ほどかけて検討した結果、G. C. PRESSにした。王様は生命力に満ちていてギラギラ輝いているので、渡辺謙には太陽。アンナことケリーはとある動画でtiny bunny noseと言われていて大変キュートだったので、うさぎ。銀座店まで足を運んでめちゃくちゃ時間をかけて決めて、劇中で象徴的に登場する雪のシールも買った。

ケリーへの手紙は英語で書くことになるので、色々と調べた。オタクやってなかったらたぶん海外ミュージカルスターに手紙を書くために調べものをするなんてこと、絶対なかった。オタクでいることは世界を広げてくれる。オタク、ハッピーすぎる。さっそく日本語で書いてみた。あとから英訳しやすいように教科書的な文章を意識した。まずは挨拶、次に自己紹介、ファンになったきっかけ、どのシーンがどのように素晴らしかったか、彼女自身がどれほど素晴らしいか、そして最後に体調を気遣って締める。ふむふむ、構成は完璧。

そうしてラブレターができた。

なんで????????????

ここに書くのもためらわれるレベルのクソ激重ラブポエムが爆誕した。キマりすぎててもうほとんど覚えてないけど、あなたの輝く歌声には人々の心にふれる力がありますとか私の心を豊かにしますとかなんとか書いた。怖すぎ。愛が重い。しかも最後はYour fanとかBest wishとかじゃなくてLove alwaysで締めてしまった気がする。あとから調べたら愛が重すぎてドン引きされるのでやめましょうって書かれてた。先に知りたかった。

心身ともにかなり消耗したところで、初日の5日前、オリジナルキャストのルーシー・アン・マイルズが本役のチャン第一夫人として期間限定で出演することが発表された。私の観劇日も含まれていた。

なんでそういうことするの????????????

3度目のブチギレをキメた私は同じシリーズのクローバーの便箋と封筒を買って、観劇日数日前に急遽有給を取得してプレゼント探しの旅に出た。1日中歩き回った。2ヶ月くらい前から考えていたけど、栞にした。栞なら手紙に同封できるし、荷物にならないし、気に入らなかった時に捨てやすい。伊東屋丸善、ありがとう。そして観劇日前日、徹夜で渡辺謙とルーシー宛ての手紙を書いた。完全にキマってたので内容はほとんど覚えていないけど、ルーシーへの手紙はまたしてもここには書けないレベルのクソ激重ラブポエムになった。渡辺謙とケリーへの手紙には雪のシールを、ルーシーへは音符のシールを使った。カードも入れて、この栞はあなたへのプレゼントです!って書いた。封にはお店で1時間悩んで選んだ日本の伝統柄のマスキングテープを使った。裏には、住所を明かせないような身分のものではありませんよの意味でガチの住所を書いた。もちろんお返事は期待していないので、サイン入り写真くださいとかお返事待ってますみたいなことは一切書かなかったし、返信用封筒も同封しなかった。ただ、手紙がいつご本人たちに届くシステムなのかわからなかったので、いつのステージかわかるように、観劇日とマチネの文字を書き込んだ。

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よく見るとケリーのファミリーネームの綴りがO’haraになっているので死んだほうがいい。正しくはO’Haraです。あとDearを付けたらMs.は不要らしい。覚えて帰ってね。

 

図書館で本も読んだ。石井米雄・飯島明子氏著『もうひとつの「王様と私」』だ。映画や舞台とはかなり異なるアンナの実際の人物像や、王様がどのように西洋文化に触れてきたかが書いてあり、かなり勉強になった。やはり舞台はフィクションだととらえたほうがよさそう。

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あと映画も観た。公演初日数日前に確かBSのNHKでユルブリンナー版が放送されたのだ。やればできるじゃん。ユルブリンナーはマジで非の打ち所がなくかっこよかった。『荒野の七人』も相当かっこよかったので覚悟はしていたけど、ユルブリンナーの王様の前ではそんなものは紙屑同然だった。ユルブリンナー怖い。雑誌の特集で読んだけど、当時ロイヤルチルドレン役だった子どもたちを休日にサーカスに連れていったり、プライベートでもお父さまって呼ばれてたりしてたらしい。ユルブリンナーをお父さまと呼べる人生、ヤバい。たぶん前世で宇宙を救ったんだと思う。

 

当日

渡辺謙とルーシーへの手紙は朝4時に書き終わった。数時間仮眠を取ってから出かけた。チケットと手紙を持ったか50回は確認した。渋谷に着くと、大きな幕が出迎えてくれた。これを、今から観るんだ。全く現実感がない。観劇中におなかが鳴ってしまうと周りにご迷惑なので、ヒカリエでフルーツサンドを買って食べた。幕間で食べる用のも買った。併設のバーは混雑するだろうと思ったからだ。

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入場した。これは現実なのだろうか。え?待って?私いま生きてるよね?この世は胡蝶の夢じゃないよね?私ってこの世に存在してるよね?そんで今から観るんだよね?ほんとに?

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プレゼントボックスは果たして本当にあった。主演は渡辺謙だし、クララホム首相役は大沢たかおだし、日本で公演してくれる機会なんてたぶんもう一生ないようなケリーをはじめとするブロードウェイガチ勢たちが出演するんだから、ボックスは1人1箱ずつあるはずだし、毎日毎ステージ満杯になるはずだ。差し込む隙間があるといいけど…。と思いながら鞄から手紙を取り出して隙間を探しえええええええええええスッカスカ!!!!!!!!!!!!!!!スッッッカスカだ!!!!!!!!!!??????スッッッカスカやんけ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

ボックスは全員共通で2箱のみ、しかも私のほかには渡辺謙宛ての手紙が1通だけだった(咄嗟に宛先見てしまって申し訳ないです。差出人の方のお名前は見てないです)。え?マジで?マジ?本気か?日本のミュージカルオタクたち全員シャイか?私の面の皮が厚すぎる感じ?みんな自分の内なるパッションをどう処理してんの?吐き出さずにはいられないの私だけ?私が異常なの?え?マジで???とりあえず手紙は入れた。え?マジ?そもそもプレゼントボックスの認知度が低い?それとも設置されていることが周知されてない感じ?マジ?こんな状態だったら手紙確実にご本人にお届けされるじゃん。正気か?いや読んでもらいたくて書いたんだけど読まれるとは思わないじゃん。あ〜〜〜〜〜もう無理だ。もうどうにでもしてくれ。さよなら人権。クソ激重ラブポエムなんかどうか捨ててくれ。うそ。絶対に読んでほしい。

 

着席した。前から2列目、センター寄り、少しだけ上手側。オケピからはサウンドチェックの音が聞こえている。オケピって本当にあるんだ。すごい。素敵。よろしくお願いしますの気持ち。緊張してシャツの襟を無駄に直したりした。いいお席の時はとりあえず襟付きのシャツを着ておけばいいと思ってるふしがある。オレンジ色のイヤリングも着けていた。タイには生まれた曜日によってイメージカラーがあるらしくて、調べたら王様であるラーマ4世は木曜日生まれで、色はオレンジだったからだ。推しや作品のイメージカラーとかモチーフを取り入れて気合いを入れるの大好き。それに絶対に演者の視界に入る。日本のミュージカルファンはだらしないなと思われるわけにはいかない。もっとおしゃれでいられる人生を送っておくべきだった。今さら遅い。オケピから音がしている。席が埋まる。今日がマイ初日にしてマイ千穐楽だ。一生に一度の舞台だ。なんの冗談でも誇張でもなく、そうだ。私は観劇にあたり本当にベストを尽くしたのだろうか。全て拾えるだろうか。何ひとつ見落とすことなく、全てを覚えていられるだろうか。たぶん無理だ。スマホの電源を切る。きっと忘れる。全てが過去になる。無理だ。始まってほしくない。始まったら終わってしまう。このまま永遠に始まらないでほしい。ハンカチを取り出す。パンフレットを抱える。ああ、始まってしまう。始まらないでほしい。どうしてチケットを取ったりしたんだろう。意味がわからない。私はいま生きているのだろうか。

 

Overture が流れ出す。3秒で泣いた。自分でもびっくりした。まだ誰も舞台上に出てきてすらいない。舞台袖からスモークが溢れてくる。幕が上がる。大きな船。ルイが走り出てくる。そして船長。アンナ。ケリー。ケリーオハラ。本当に彼女だ。目の前にいる。小さな体で大きな船に乗っている。舞台両側に字幕が出る。少しそちらを見る。でもケリーを見ていたい。彼女が歌い出す。涙が出てきた。なんて美しい歌声だろう。羽が生えてるみたいだ。透明な羽が客席の上を滑って満ちていくのがわかった。まるで話をするように歌うんだなと思った。セリフと歌の間に何もない。自然すぎる。きっと彼女にとっては何の違いもないんだろうなと思った。歌うことが呼吸することと同じなのかもしれない。とても素敵なことだ。声に強弱がある。声量の上昇を肌で感じる。この日までに何度も何度も繰り返し聞いたCD音源とは違う。これはCDじゃないんだ。いま、歌ってるんだ。ハンカチなんかどうでもいい。化粧なんか知ったことか。一瞬も気をやりたくなくて色々垂れ流したまま拍手をした。

王様が出てくる。しかも客席の通路から。そうだ、ここは彼の王宮なのだ。背が高い。スキンヘッドではない。存在感がすごい。王様だ。本当に渡辺謙だ。全身から命の輝きが迸っている。今ここに生きている。子どもたちを紹介する場面ではくるくると表情が変わる。丁寧なお芝居だ。ライブビューイング版より格段に英語も歌も上手になっている。しかもめちゃくちゃセクシーだ。渡辺謙ってこんなにセクシーなの?信じられない。命が燃えている。目の前でケリーとふたりで寝そべる。顔がかわいい。

ルーシー。本当にチャン第一夫人役で登場した。杖をついていない。胸がいっぱいになった。王様とすれ違う時、一瞬立ち止まってするりと頬を撫でられた時のあの顔!!忘れられない。もう覚えてないけど。あの嬉しそうな顔!!とってもキュートだった。Something Wonderful が始まる。愛しか感じない。アンナが去った後に続きを歌う時の顔と声。悔しいよね。自分が一番助けて支えてあげたい人に対して、自分は無力で、力になれる人を送り込むのが精一杯で、本当は自分がそうでありたいのに。でもそうするのは、それだけ王様を愛しているからで、本当に強い人だ。ルーシーのSomething Wonderful が聴けるなんて思わなかった。一生の宝物だ。一生大事にする。ルーシー、ありがとう。

幕間。冒頭から割と泣き通しなので、グスグス言いながらラウンジでサンドイッチを食べた。既にキャパオーバー。もう無理。なんで1幕終わっちゃったの?なんで物事は始まると終わりが来るの?ELLEGARDENもMy favorite songs and favorite TV shows are never ending. My favorite books and my favorite radio shows will never die. They echo inside me. って歌ってるじゃん。ELLEGARDENは嘘は言わないんだよ。そうだろ?

2幕。始まってしまった。劇中劇。バレエ要素がたくさんあって、人間の身体の素敵さをまざまざと感じる。My Lord and Master の時点で一瞬でわかってたけど、タプティム役のキャム・クナリーが本当に素敵だ。アンダーだったなんて信じられない。ブロードウェイ怖い。エドワードと船長が同じ人だと知った時はびっくりした。エドワード、いい人っぽいけど、アンナに近づかないでほしい。彼女困ってるだろ!しっしっ!王様はやく来て!

晩餐会でのアンナのドレス姿が美しすぎて言葉もない。夕闇に映える藤紫色。肩の露出に驚いた王様に、アンナがお気に召さなくて残念です、って返したら、そうは言ってないだろ!!!ってブチギレる王様が愛しすぎて死んだ。ていうかそもそもアンナの衣装が全体的に神。冒頭のドレスは海の色で、海を旅してシャムにやってきたことを視覚的に感じさせてくれるし、Getting to Know You での白いドレスは真昼の太陽の光の色みたいで、物語を24時間に換算したとしてもちょうどお昼くらいのタイミングだと思う。そして晩餐会では夕闇の藤紫色。最期、王様の死に立ち会う時は、真紅のドレス。沈む太陽の色。完璧すぎる。天才。神。衣装に関わった人たち全員にお歳暮を贈りたい。嫌いなものとかある?どこ住み?てかLINEやってる?

そしてとうとうShall we dance? の場面が来た。来る、来るぞ、いや待って待って待って終わらないで聞きたくない来るぞ来るぞ来るぞくるぞ

...Was like this. No?

Yes. 

──Come. 

ア〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

王様はアンナの細い腰に手を回して引き寄せて、口づけ寸前レベルまで近づいて、アンナが僅かに顔を引く。アンナが王様を見つめたままドレスの裾を持ち上げる。柱が動き、縫うようにふたりが踊る。youtubeで色んな役者さんのこのシーンを観たけど、どのペアよりも速いし、大きい。ほとんど跳ぶように踊っている。翻るドレスが素敵だ。すごい量と重さの布だと思う。リードする王様は大変だろう。ドレスは大きく翻るほど綺麗だからだ。そのためのデザインだ。踊り終わって一旦離れたアンナの元へ、今度は引き寄せられるように王様が歩いていく。頬に伸ばされた手にアンナが自分のそれを重ねながら、やんわりと下げる。小さく首を横に振る。手を引いた王様が頷く。とんでもないものを観てしまった。なんだこれは?私はいま一体何を目撃したんだ?この世の全てが今ふたりの間にある。これはもう宇宙と言っても過言ではない。宇宙だ。いま私はこの世の全てを見た。

その後は悲しかった。1幕であんなにギラギラと輝きながら生きて燃えていた王様の命が残り僅かなのがわかる。客席の通路をゆっくり歩く、少し丸まった背中に今すぐ触れたかった。しんどい。ここまでほぼずっと泣いてる。なんで命あるものはやがて死んでしまうの?無理すぎ。私が代わりに死にたかった。チュラロンコン皇太子は王様が息を引き取る瞬間、王様を見てはいなかった。正しいと思った。看取ったのはアンナだ。たぶん。チャン第一夫人も見ていたかな?ちょっと泣きすぎててよく覚えていない。

カーテンコールはめちゃくちゃ拍手した。渡辺謙がケリーと手を取り合ってニコニコ出てきた時は本当に救われた。死んでないじゃん。よかった〜〜〜〜〜!!1度や2度のカテコで客が許すはずはなく、何度目かのカテコで渡辺謙は嬉しそうにガッツポーズをしていた。私も泣きながらスタンディングオベーションをした。名残惜しすぎて帰るのが大変だった。翌週はもちろん仕事が手につかなかった。

それから2度ほど当日券チャレンジをしたけど、ご縁がないまま、8月4日に舞台は千穐楽を迎えた。渡辺謙とケリーはともにそれぞれ王様とアンナから卒業すると発表があったらしい。全ての意味で本当に一生に一度の舞台だったわけだ。最後の舞台に日本を選んでくれるなんて、こんなに光栄なことがあっていいの?観ている間は一瞬一瞬絶対に一生覚えておこうと心に刻んだつもりだったのに、今はもう何も覚えていない。でも思い出せないだけで覚えているはずなので、ふたりの最後のお役を目撃したことは一生大切にするし一生自慢する。大切な思い出すぎて上書きが無理なので、これから先一生『王様と私』をナマで鑑賞することはしないかもしれない。渡辺謙が私の王様で、ケリーが私のアンナ。そのままでいたい。愛が重い。でもチケット取るの頑張ってよかった。本当に。そうして私の夏は終わった。

 

その後

8月2日。ああ明後日はとうとう千穐楽だなあと思いながら仕事終わりに映画『ワイルド・スピード   スーパーコンボ』をレイトショーでキメた深夜、家のポストを開けると、緑色の小さな手紙が入っていた。そこにはこう書かれていた。

 

KING AND I    K. O’Hara

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??????????????????????????????????????????????????????

ちょっと待って

まって

まって??????????????????

部屋に帰ってよく眺めた。何度読んでも「KING AND I   K. O’Hara」と書かれている。王様と私、ケリー・オハラ。もう1度読んだ。やっぱり書いてある。ケリーからのお返事?そんなばかな。頬をつねってからもう1回読んだ。頬を痛めただけだった。

宛先には私が調べながら書いたのと同じ形式で、私の住所と本名がローマ字で書いてある。消印は7月末の夜、渋谷の郵便局のスタンプ。劇場の近くから投函してくれたのか。そしてめちゃくちゃ素敵なことに、料金不足のスタンプも押されていた。貼ってあるのがまさかの10円切手だと気がついてその場で笑い転げた。でも、よーく考えてみて?(海外ドラマ風に)もしケリーが手紙の投函を日本人スタッフか日本に慣れた外国人スタッフに頼んだとしたら、こんなことが起こるだろうか?いや起こらないはずだ(反語)。つまり日本の切手システムに不慣れな人が投函したことになる。たぶん10ドル感覚で切手を買ったんだろう。それって、その、つまり、ケリー本人が投函した可能性はないだろうか?それに気がついた瞬間世界は色づき花は咲き乱れ虹がかかりオーロラが現れ爽やかな風が吹き小鳥たちは歌い出し、そして世界から争いが消えた。私は翌日泣きながらコンビニで切手を買い求め、郵便局へ返送した。

手紙をひっくり返すと、普通のセロハンテープで1箇所だけ留めて封がされていた。忙しい中でそれでも書いてくれたんだ。そっと中から手紙を取り出す。私のファーストネームから始まり、私の出した手紙とプレゼントへの感謝と、日本を楽しんでいますということが書かれていた。アプリ頼みの稚拙な英語で書いたから、レベルを合わせて簡単な英語で書いてくれたのかもしれない。やさしい。ちなみに最後はBestで締めくくられていた。2019年7月、とも書かれていた。2019年7月の、ケリーにとって最後の『王様と私』アンナ役での手紙のお返事。もしかしなくても家宝。信じられない。7千万回くらい眺めてさわりまくった。文字をなぞると、ボールペンの僅かなへこみを指先で感じる。本物だ。プリントアウトじゃない、本当に本物の直筆だ。信じられない。こんなことってある?あまりにもあまりすぎて手に負えなくてツイッターで発狂した。

 

手紙は今も私の部屋にある。うれしすぎていつでも眺められるように文面をスマホで写真に撮って常に読み返している。これでストレスフルなことが起こっても大抵どうにかなる。だって私はケリーの最後のアンナ役でファンレターにお返事をもらった女だから。ヤバいよね。ますます好きになっちゃう。まさかファンレター出した人全員に返事書いたりしてるのかな?これ読んでる奇特な人でこの件でケリーからお返事もらった人いたら連絡ください。分かち合いましょう。取り急ぎお礼の気持ちを込めてケリーのアルバム『Always』を輸入したし(なんとSomething Wonderful のカバーが収録されている!)、手紙はアンコール上映されたMETオペラ『コジ・ファン・トゥッテ』を観に行った時に鳩居堂で買った桐の文箱に入れて保管している。鳩居堂で売ってることを教えてくださったフォロワーさんありがとう!

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マジでこういうことは起こるのでみんなファンレターは検討したほうがいいです。届けられる機会が少ない相手なら尚更。お返事欲しさが全てではないけど、好きでいることをオープンにするといいことがあるかもしれないよ。

最後に、渡辺謙、ケリー、ルーシー、全てのキャストさん、全てのスタッフさん、この来日公演に関わった全ての方々、本当にありがとうございました。一生忘れられない夏でした。

おわり。

*1:SHIROHのレベルが低いと言いたいのではない。SHIROHマジ最高。いつか再演してくれ