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頭の中のさまざまのこと

すきなこと、考えていること

福山雅治氏のライブに行って泣いた話

音楽の話

相当イタい上に長い話になるので読んでくださる方は覚悟してほしい。

ちなみに記事内では福山氏とお呼びする。「ましゃ(福山氏の愛称)」だとライブでもないのにちょっと恥ずかしいし。ちなみにライブでもあまり叫べないタイプ。

さて、タイトルの事件は、昨年12月に横浜で行われたライブ『福山☆冬の大感謝祭  其の十六』で起こった。個人的にこのことは福山雅治ファン人生史上とても重要なターニングポイントとなったので、超長文だが書いておきたかった。

先に結論を申し上げておく。ものすごく乱暴に言うと、涙の原因、それは『ピーターパンの死』である。

 

そもそも

順を追ってお話ししたいので、私の福山雅治ファン人生をプレイバックしておこう。

時を遡ること10年。皆さんは覚えておられるだろうか、小説家の東野圭吾氏の本を原作にした月9ドラマ『ガリレオを。

物理学LOVE!謎不思議LOVE!人間に興味なし!自分の心に素直すぎて周りから変人扱いされている湯川学准教授と、

義理人情に厚く絆されがちだが、矜持を常に持ち、真っ直ぐ本音で人にぶつかっていく内海薫刑事との男女バディ探偵物語である。

この主人公湯川学を演じたのが福山氏である。

元々東野圭吾氏のファンだった当時高校生の私は何の気なしにドラマを観始めた。とはいえ原作も未読だったし、福山雅治と聞いても朧げに顔が浮かぶかどうかという有様だった。当時の私はエドワード・エルリックが世界の中心だったからである。そして。

結果、大ハマリした。

公式イケメン設定、美声、マシンガン物理トーク、毎話ブチ込まれるサービスシーン、だんだん内海刑事に絆されていく様、つらい過去…。

このラノベ?と問い質したくなる設定モリモリな湯川先生とオタク心をくすぐる脚本演出に、私は夢中になった。本編はなるべく毎週リアタイし、主題歌のCDを買い、主題歌が披露される音楽番組までチェックした。同じ次元(厳密には違うが)に生きる推しにそれはもう舞い上がった。

しかしどんなに素晴らしいドラマもいつかは最終話を迎える。放送終了後、毎週ご尊顔を拝しお声を拝聴する日々に慣れきってしまっていた私は、程なく禁断症状を発症した。その苦しみから逃れるため、ここにはとても書けないようなこともした。察してほしい。湯川先生は私に闇のオタクとして慎ましく生きていく全てを教えてくれた。つらく美しい日々だった。そして思いついた。ラジオがあるじゃん、と。

 

ラジオ

当時一端のアニオタを気取っていた私は、幾つかのアニメ系ラジオ番組を拝聴していたので、新聞のラテ欄で福山氏のお名前をお見かけしたことがあるのを覚えていた。

軽い気持ちだった。湯川先生の声が聞きたいな、って。あくまでも湯川学というキャラクターのファンだったのだ。そうして私はある土曜日の深夜、魂のラジオと出会うことになる。

 

魂のラジオ(通称魂ラジ)』とは、オールナイトニッポンシリーズの1つとしてニッポン放送で15年に渡って放送され続けたモンスター長寿深夜ラジオ番組である。福山氏はこの番組でメインパーソナリティーを勤めておられた。

私は当然湯川先生との再会を期待した。しかし、ドキドキしながらつけたラジオから流れてきた声は湯川先生のそれではなかった。いや面影は感じる。が、先生がしゃべってる!きゃー!とはならなかった。そこにいたのは、ファンから愛称で呼ばれ、メールを読んでは爆笑し、下ネタを連発し、ラジオなのに突然ギターを教え始めたりする、福山雅治氏そのひとだったのである。

面食らってしまった私は、それでも回らない頭でトークを聞き続けた。すごく面白かったのだ。ギターの専門的な話には全くついていけなかったが、ギターがすきなんだな、そういやミュージシャンだもんな、と思った。はしゃぎ方が少年のようだった。すきだな、と思った。

 

それから私が本格的に番組のリスナーになり、福山氏の人柄を知るようになり、やがてファンになるまでそう時間はかからなかった。

ギターが本当にすきなこと、お酒も旅も写真もバイクもすきなこと、ファンを大事に思っていること、美女を連れ歩く男を見ると難癖をつけること、エイズ啓蒙活動に貢献していること。ラジオがたくさん教えてくれた。夢中でCDを集め、写真集を買い、父にギターを習い始めた。

福山氏の声もだいすきになった。一際低くなる時に、空気というか喉というか、そういうのがざらざら震えるのがすきだった。その振動を感じようとCDプレイヤーに手をあてて聴くこともあった。キモい。

かくして土曜日の深夜は私の大切な時間になったのだが、それを更に特別にしたのは、魂ラジ生放送だという点だった。

私がCDプレイヤーをラジオ選局モードにし、AM1242に数字を合わせている正にその瞬間、福山氏はマイクに向かってしゃべっているのだ。もはや実質おうちデートと言っても過言ではない。自分の部屋をもたせてもらえる家庭で良かったと心底思った。そうでなければ両親に土曜日の深夜に90分間ニヤける口元を押さえ続ける娘の痴態を晒すことになる。事案である。幸い私は自分の部屋で、軽妙なトークに毎週思う存分腹を抱えて笑うことができた。

そうして聴き続けるうち、この番組は私の中で確固たる存在になっていった。土曜日の深夜、ラジオをつければそこに変わらないものがあるという絶対的安心感。どんなに自分や周りの環境が変わっても、土曜日の23時半が灯台の如く私を見つけてくれるのである。

私にとって魂ラジは『変わらないもの』の象徴だった。だから私はこの時間が永遠に続くと信じて疑わなかった。顔も名前も知らない多くのリスナーたちや福山氏と、「じゃあまた、いつもの時間に、いつもの場所で」と言い合い、手を振り、別れ、また集まる、そんな週末が死ぬまで続くのだと。

しかしバカな私は忘れていたのだ。どんなに素晴らしいものにも最終話は来ることを。

 

変わらないものなんてなかった

2014年の暮れ、番組の終了が告知された。耳を疑った。涙すら出なかった。

理由は体力面だった。以前から放送中に眠い眠いと仰ってはいたし、多忙につき番組は録音です、といったこともあったので、もう何も言えなかった。時間帯を変えての継続も打診されたが断ったらしい。福山氏ご自身がかつて救われ続けてきた深夜生放送という価値を維持できないのなら続けるべきでない、という強い意志が、いつものトーンで語られる言葉の端々に滲んでいた。

翌年、私は最終回を自室の布団の中で迎えた。その夜も番組は面白かった。嘘だろと思うくらいいつも通りに笑わせてくれた。毎回最後に弾き語りのコーナーがあるのだが、その夜はたぶん『Good night』というラブソングだったと思う。目を閉じて夢心地に聴いていた。

放送終了直前、長年番組で福山氏の相方を勤められた荘口彰久さんは挨拶の途中で言葉を詰まらせた。笑いながら話しかける福山氏に、荘口さんは静かに泣きながら「うん、うん」とだけ応じていた。福山氏はやっぱり笑っていた。私も笑った。そうして15年続いた魂のラジオは終わった。

 

この時の『ずっと変わらないと思っていたものが、実はそうではなかった』という体験が、私のある幻想を助長するはめになることを、当時はまだ知らなかった。

 

そして結婚

魂のラジオ終了後も私は生きていた。別にラジオ番組が1つなくなっても朝は来るしごはんはおいしい。それがやっぱりさみしいけれど、歌手活動を続けてくれさえすればそれで充分だ。そう思えるようになって数ヶ月後、突如超弩級ミサイルが世界を震撼させた。

 

福山氏のご結婚が報じられたのだ。

 

最初に申し上げておくが私はこのご結婚を心から祝福している。福山氏は自他共に認める360度全方位に気を遣う男である。酒の席では例え自分が主賓でも周囲のグラスの空き具合に目を光らせ、ライブ前は客席最後列まで音を届けようと実際に足を運んで確認してくれる。誰かに喜んでもらおうとするそのひたむきな姿勢に、私は何度胸を熱くしたか知れない。

その裏でたった1人で表現の海を漂う苦しい夜を過ごしているのかと、誠に勝手ながらたいそう胸を痛めてもいた。

大きなお世話にも程があるし、実際ご本人がどのように感じているのかを知ることは誰にもできないが、想像に難くない孤独な夜をずっと1人で耐えておられるのだと思っていた。

しかしこの結婚報道で、福山氏の夜は孤独の夜だけではなかったことを知った。そばにいてくれるひとがいたのだ。私はそれがとても嬉しくて、その日はコンビニでケーキとお酒(下戸のくせに)を買って帰り、家族に総スルーされながら1人で祝杯を挙げた。そしてテレビやネットに溢れかえる阿鼻叫喚を尻目に、悠々と眠りについた。それで終わるはずだった。

 

襲い来る謎のモヤモヤ

翌日から謎のモヤモヤが私を襲った。ニュース番組等でお名前を聞くのを避けるようになり、公式サイトにも行けなくなった。私は福山氏のご結婚をマジに祝福している。氏のご母堂勝子ママに誓ってもいい。私は混乱し、原因を探り始めた。

  1. 自分が福山氏とワンチャンあると思っていた→そんなにおめでたいアタマなら私はもっと幸福に生きているはずだ。論外
  2. 実は奥さまに憧れていたので、福山氏に嫉妬している→奥さまのことはほぼ存じ上げない。これも論外
  3. 自分のものにならないなら誰のものにもならないでほしかった→少々狂愛的だがまあわからなくもない

色々考えたが、どれも違うような気がした。腑に落ちないまま私は福山氏のお仕事を追い続けた。しかし、結婚報道後初のテレビ出演となった不定期歌番組も、奥さまのご懐妊発覚後父親になることについて触れたらしいトーク番組も、録画編集はしたものの、中身を観ずにダビングしてHDDから消してしまった。そんなことが続いた。

 

涙の理由

そして1年後、事件は起こる。2016年12月27日。奇しくも、ファンになって以来全てのライブでスタンド席最後列付近を温めてきた私が、初めてアリーナ席を引き当てたライブであった。

ステージの近さに動揺しながら、私は例のモヤモヤに立ち向かおうと足掻いた。ご結婚後初のライブだった昨年は混乱のうちに終わってしまった。2年連続でこの最高のエンターテイメントをただ通り過がることはできない。しかし1年間も尻尾を掴ませなかった相手に、ライブ直前の10分間で勝てるわけはなかった。

 

ライブが始まった。

照明が落ち、歓声と共に沸き起こった拍手はすぐにリズムを帯びて手拍子へと変わる。俄かにステージが明るくなった時、中央に凛と立つ背中が見えた。

あちこちに設置された巨大モニターに福山氏が映るが早いか、1曲目が始まった。モニターには輝くような笑顔があった。

あ、笑ってる、と思った瞬間、私の涙腺は崩壊した。同行した母に「良かったね、近いね」と話しかけられても、「ウゥ〜〜〜〜ッ」と獣の唸り声のようなものしか返せなかった。わけもわからないまま「変わらないんだ」「笑っていてくれればそれだけでいいんだ」という2つの言葉が頭の中でガンガン響いていた。ライブは最高だった。

 

それから今日まで、どこからか現れたあの2つの言葉をずっと考えていた。

それで、私は結局のところ福山氏に『変わらないでいてくれること』を望んでいたのではないかと思った。

私にとって福山氏はあまりにも夢のような存在なので、まるでピーターパンだと思っていた節があった。初の武道館ライブ、大河ドラマ主演、世界の秘境への探訪、どれだけ色々な経験をして成長しても決して変わらない永遠の少年なのだと。

そこへご結婚という、今までとは比較にならない威力の変化がウエンディの形をして現れ、私はさながらピーターが彼女と一緒に大人になる世界へ行ってしまうのではと怯える迷子のようなものだったのかもしれない。ご結婚を本当に祝福しながら、一方で不安に思ってもいたなんて最低だ。永遠なんてないとラジオの時に思い知ったはずなのに、たぶんそれがこの幻想に拍車をかけてしまった。

しかし、ライブの1曲目、1秒目に見たあの笑顔は、私の夢の福山氏そのものだった。ピーターパン説は間違っていたが合ってもいた。福山氏はもちろんピーターパンではなかったが、少しでもファンのそばに行こうと四方の花道を疾走し、柵に飛び乗って歌う福山氏の笑顔は、ずっと前から何も変わっていなかったのだ。

それだけではない。1年前福山氏はライブ中のMCで結婚のけの字も言わなかった。でも今回は新しい命がうまれたことを話してくれた。爆発する拍手に、手で顔を隠しながら「恥ずかしいからこのへんで…」とすぐ話を変えてしまわれたけど、直接おめでとうを言わせてくれた。ファンを信じてくれたのだ。

私はたぶんあの時ようやく福山氏のファンへの変わらぬ愛と信頼を悟り、申し訳なくて情けなくて嬉しくて泣いたのだと思う。ただ変わらない笑顔が見たかったのだ。証明してほしかった。そして福山氏は応えてくれた。笑ってくれるなら何でもいいや、と思った。

こうして、私の中のピーターパンは1年かかって死んだ。

 

これからも福山氏は様々なご経験を経て美しく変わってゆかれるだろう。けれども見せてくれる笑顔だけは決して変わらないのを知った私は、それを心から楽しみにしている。

 

ところで、福山氏の歌の1つに、こんなものがある。

"その笑顔が見たいよ  それが僕を笑顔にするよ"

ときどき考え過ぎる  生き方の選び方って  そういうことなのかも

一番新しい自分を  一番誇れるように

そうなれるように

ただそれくらいの理由だとしても  頑張れるんだよ

その答えはもう出てたんだよね

その笑顔が見たい  やっぱそれが僕を  笑顔にするんだよ

 

その笑顔が見たい/福山雅治

福山雅治/歌詞:その笑顔が見たい/うたまっぷ歌詞無料検索

 

その通りなんですよ奥さん!!!!!!!!推しの笑顔最高〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!